察知する感覚があるとしたら。
1995年 1月17日 AM 05:46忘れては ならない日です。阪神淡路大震災遠く離れている我が家は,揺れを感じることはなかったけれど23年も経つのにあの日の朝は,忘れられないです。過去記事を探すと,この事を記したものが発掘されるかもですがまた,ここに書きます。いつもは,起こしても起きないようなオトコがその瞬間飛び起きるようにして,起きました。とても,不自然な表情と行動でした。いつもより1時間以上も早く起きてソワソワ,ウロウロと。狭い室内を。何をしているのかと問えば,神妙な表情で「わからない」と。その様子は,いてもたっても いられない といった感じで普段 見たことのない姿でした。テレビをつけても,いつもと変わらない様子まだ,この段階では何が起きたのか,想像もしませんでした。7時,過ぎたか過ぎないか,の頃私たちは,はるかかなたで起きた現実を知ることとなります。大地震。被害が把握できない,連絡が取れない、と否定形で流れる情報に,テレビの前で動けなくなったのをまるで 昨日の出来事のように,鮮明に思い出すことができます。そして顔面蒼白状態のオトコが,ソコに居ました。まるで,はるかかなたの現実を,ココでキャッチしていたかのような不確かではありますがそう思った方が 自然かもしれません。そう考えたら,えもいわれぬ気分になったのかもしれません。そんな感覚を どう説明しても しきれないと,そのオトコは言いました。こんな言い方もナンですがこれは,特別なことでもなんでもなくてみんなが普通に持っている感覚なんだと思います。ただ,忙しさや,ほかに優先させることがあると優先順位の上位になりにくいのかも。より野性的な人の方が,持っている感覚 だったりして。今,思い出しても,複雑な心境です。ご冥福をお祈りします。 ありがとうございます