わかっているのに 変えられないことって ありますよね。
このままで大丈夫、と思っていることや
自分以外の誰かに迷惑がかからなければいいや
と、私も自分を許したり、甘やかしたりしています。
苦手なところがあったりして
発達に課題あるお子さんへのかかわりかたは
特別なことをするのではなくて
状況や個性に合わせて
ほんの少しの手助けと
ほんの少しの遠慮(ホントに少し??)・・・見守りが必要なだけだ・・・と
私は学びました。
そしてそれは
広く一般の子育てにも通じる方法で
高齢の家族にもバッチリです。
ただ、唯一、注意すべきことがあります。
子どもと高年齢の人との違いです。
私も既にそうですが、年齢的に日々 身体機能が低下していくことを否定しないこと。
言葉にするのは簡単ですが
例えば言葉にできても
コレがなかなか受け入れられないのです。
世代間で 違う時間が流れて行くようなもので
同居していると
お互いに
毎日が間違いさがしの道場になってしまいます。
実母の変化の話をします。
我が家は 最大の時は7人で生活していました。
食事の支度も
子どもたちの成長によって
7人分に大きな変化がありました。
息子が食べ盛りの時は
たくさんご飯を炊いて、お鍋いっぱいのおかずを用意していました。
一人ずつ減って行き 今は4人
最大時の半分になっている・・・はずなのですが
ご飯が余ってしょうがない
お鍋の料理がいつまでも残っている
などの言葉がどんどん出て来くる。
ご自分のことは見えないので、
私たちが悪いと思っている様子。
言葉の端々に 感情的な表現があります。
私は コレが苦手です。
彼女には
特別なことをするのではなくて
状況や個性に合わせて
ほんの少しの手助けと
ほんの少しの遠慮・・・見守りが必要なだけだ・・・
となりますが・・・
・・・と、その前に。
私がやってしまえば、こんな事は起こらない出来事かもしれないのですが
私がやることで新たな戦争が起こるので
子どもたちがいない今は ある程度お任せです。
同居のお約束、台所はトラブルの宝庫ですものね。
・・・と、話を戻しますと
頭でわかっていても
身体の動きにつながるまでにタイムラグがあるような
そんな不思議を 日々見ることができます。
ラクをしているように見えますが、私は
どこまでも 傍観者になっています。
言葉は便利ですが、時としてそれは凶器になりますから。
言葉をつかう人に悪気がなくても
悪く伝わってしまうこともありますよね。
私がやる、と言ったこともありましたが
彼女のプライドを傷つけてしまいました。
親しき仲にも礼儀あり 何年一緒にいても相違あり
変化に合わせて変化するって
ホントに難しい。
修行
継続中です。