西部さんは札幌南高校から東大に行った方で、職場の先輩と友人であったので、朝までTV等でも、その歯切れのいいコメントに共感しておりました。この痛ましい最後は、私達に「生」と「死」を考えるために「一石を投じてくれた」と思います。

 私は、もう40年以上前に暑寒山脈縦走でホスピスの看護師さん色々と教えて頂いたのが初めてで、改めて「生」と「死」を考えさせる機会を与えて頂いたので調べて見ました。蛇足ですが、その看護師さんとは年賀状のやり取りをしていて、お坊さんとご結婚され、死についての価値観を共有したのかと思います。


・尊厳死=本人と家族、複数の医師らが合意すれば、いくつかの延命治療を中止する『尊厳死』が許され
人間の尊厳し次の5つとされれている。

     ①胃ろうの中止
     ②中心静脈栄養法など点滴の停止
     ③人工透析の中止
     ④人工呼吸器を外す
     ⑤抗がん剤の投与中止


その決定に関わるプロセスして

  ※医師が積極的に関わる「積極的安楽死」
    私の想定であるが本人は意識が無く、家族が複数の医師の説明により選択

  ※治療を開始しないか、終了させる「消極的安楽死」

    本人及び家族が延命治療の拒否し、ホスピス(緩和ケア)の「医療法」を選択、治療を中止し、痛みなどを緩和


・自殺=自ら尊厳死を選択したのであり、犯罪にはならないが、終末期の病気ではなく「安楽死」は選択できないと思う。
・自殺+幇助(犯罪)=ここで幇助は「積極的安楽死」を依頼された2人が手を貸したことになるが
    西部氏は手が不自由で手を使う「確実な自殺は出来なかった」(入水・飛び降りは100%ではない。植物人間になる可能性がある。
    西部氏は終末医療中でもなく、医師の関わる「安楽死」を選択出来なかった。
 では、終末医療が必要な疾病を待たなければならないのか?

 

 「死ぬ自由ではなく」「生きるのをやめる自由」も個人の権利ではないか?とも思う。
 私も息子らには「延命治療の拒否」の意思表明をしたが、尊厳死協会等があるみたいで、少し、調べて見たい。