今日は珍しくWワークの日でした。
(あ、集金は別カウントということで)
怪我のために1ヵ月くらいお休みする同僚のフォローのため、午前中は折り込み、午後からはビーズ教室というスケジュールになりました。
これまでも、この逆パターンってのは何回か経験あるんですけどね。
出勤人数が少ない日なのに仕事量が多いなんてとき、午前中は教室で、午後から呼び出し…というパターン。
どっちにしても、1日の間にWワークってのはちょっと苦手。
上手く切り替えができないんです。
折り込みは身体を動かす『動』の仕事。
重い紙の束を持つし、歩き回るし、小走りだって有り。
それに対して、ビーズ教室は『静』の仕事。
2時間立ちっぱなしで、ビーズ棚と生徒さんたちの間を行ったり来たりウロウロしたりはするけれど、運動量は雲泥の差ですから。
今日は折り込みが早く終わったから、12時10分くらいには帰宅できた。
おかげで、約2時間のお昼休憩があったわけだけど、なんとかギリギリ切り替えられたかなという感じ。
パッと瞬時に切り替えができると良いんですけどね。
今日は、サークル:暗中模索、和水創太さんのフリートークを聞きながら。
私、子供の頃、学校を休むのが苦手な子でした。
たぶん、原因は幼稚園の年長さんの時のこと。
年長さんの1年間、1/3くらいは欠席してます。
行きたくなくて…ということではなく、肺炎で。
欠席してた時期って、小さかったからよく覚えてないけれど、冬の初めから卒園の少し前までだったと思われる。
とにかく、クリスマスとお正月はガッツリ含まれてるという頃合いです。
どうやら私、死にかけてたらしい。
もちろん、私は全然覚えてないけど。
『今日は乗り越えられないかもしれない』と医師が運を天に任せた時期があったんだそうです。
その時、母にもそれは伝えられず、後になってから『あの日が峠だった』と聞かされたとか。
カトリック系の幼稚園だったのだけど、私の容体が伝わっていたのだと思う。
クリスマスに先生から十字架のネックレスとカードのプレゼントがありました。
カードはマリア様と天使。
この天使は、後になって知ったのだけどラファエルでした。
癒しの天使ですからね。
それがあったからか、私にとって一番馴染みの天使というか身近な天使は、ミカエルではなくラファエルです。
そうそう、この十字架のネックレスは今でも持ってます。
ときどき着けたりしてます。
カードのほうは……たぶんこっちに出てくるときに持ってきてるはず。
そして、天使のカードは捨てるわけがないから、どこかにしまい込んでいるはず。(すっかり忘れてるけど)
とまあ、こんな感じで長期間休んだからかな。
数ヵ月ぶりに教室に入った時の違和感ってのが凄かった。
自分が休んでいた間、みんなが何をしていたのかってのも分からない。
私が知らない流れの先として、『この間はこうだったから、次にこれをしましょう』って風に話が進んでいくわけですよ。
この置いてけぼり感。
幼稚園生ですら、自分の居場所が無い、という感覚があったから、小学生の時は小学生なりに、「あの状態はツライ」と思っていて、極力欠席しない方針でした。
(幼稚園の記憶は、この”居場所が無い”というもののみ)
とはいえ、十代のころって今と違って、わりと病気がちだったから、皆勤賞なんて夢のまた夢。
今は丈夫ですね~。
風邪をひいたのだって、いつだっけ?
とりあえずコロナ禍になってからは、風邪ひいてないですね。
これ、マスクのおかげってのもあるかな。
折り込み仕事の最中って、ものすごい量の細かい紙屑が舞ってる。
今までは知らず知らずに吸い込んでて、それが喉を荒らしたり鼻粘膜を荒らしたりして、風邪をひく切っ掛けになったり、咳喘息の切っ掛けになったりしてたのが、マスクでガードしてるおかげで風邪はもちろんだけど、咳喘息の発作も、発作に繋がりそうな微妙な違和感も全く出なくなりましたね。
えーっと……暗中模索さんの新作。
しっかり寝かしつけられてしまっていて、まだ最後まで聞けてません。
連続で寝かしつけられちゃったので、少し間を開けてみようとしてるところ。
他のもの(妖狐や黒魔術)でもスーッと眠ってしまってるのは……春だから?(違)
”悪戯”って書いてあったし、タグがあったから、ワクワクドキドキしながら……///
普段、催眠音声だと寝転がった状態で聞いてるから、こうやってPCの前に座ってる状態で聞くというのは……なんか照れますね。////
(明るいからかな)
キスマークって好き////
他の人はどうか分からないけど、私の感覚が一般的なのか分からないけど。
”キスマークをつけられる行為”って服で隠れない位置のほうが気持ちいいんですよね。(私感)
ただ、後で困ることになるけど。
絆創膏を貼るわけにいかないし、ファンデーションじゃ隠しきれないし。
それでも、”そこにある”ってのは、なんだか心地良い。
所有の証であり。
求められた証でもあり。
痕を残すことを許すということは、心の中へ深く踏み込むことを許すとうことでもある。
まあ、日が経って消えかけの色はキチャナイナってなっちゃいますけどね。(笑)
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