今日のメニューは・・・
* 秋の気配
* シチュCDの感想
≪シチュCDの感想の注意事項≫
ネタばれが困る、嫌いという方、こういうの興味がない方はスキップすることをお勧めします。
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9月の第一週ってこんなに涼しかったっけ?
そんな日が続きそうです。
確か、このくらいの時期って残暑で暑くて・・・って感じだったはず。
夏の間、朝の室温が30度を超えていたのが、今朝は26.5度。
現在(22時半)も27度と涼しい。
暑さが苦手な私としては、とても過ごしやすい気温ではあるんだけど。
ベランダに入り込む日差しも、ずいぶん部屋に近づいてきてる。
それだけ、太陽の高度が低くなってきてるってことだね。
もう少しして部屋の中に入るようになったら、寝室に置いてあるサンキャッチャーをリビング側に移動しなくちゃ。
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Corpse☨Heart 2nd Night ヴァレリー
CV:増田俊樹さん
さて、書き始めようか・・・・と、タイトルを書いている時に、さり気なく『Candy Hearts』を流してきたメインPCくん。
どうやら、今日も絶好調みたいです。(笑)
とーいうことで、コープスハートの2枚目。
今回の彼はヴァレリー。
・・・しまった。
ジャケット裏は読んだけど、公式サイトでプロフィールを見てくるの忘れた。
(ま、いいか)
そんな感じで、今回も情報量は半分以下という状態で聞き始めとなりました。
楽曲2曲とシチュエーションパートからなるこの作品。
スタートは楽曲です。
1曲目はミュージカルバージョンの『Black Tragedy』。
2曲目はアンデッドバージョンの『Candy Hearts』。
1作目のリジィの時にも感じたことですが、この2曲って曲調が違うのに同じ香りをまとってます。
歌詞も全く同じ部分と、微妙に違う部分と、全く違う部分という風になってる。
この組み合わせ方が絶妙としか言いようがない。
そして、今回もアンデッドバージョンの方が好み。
ちなみに、前回と今回、どっちが好み?と訊かれたら、『今回の』と答えますね。
なんて言うかな・・・・
ちょっと不安定な感じがするんです。
聞いていると、心がざわつくというか・・・。
不安定さを感じるから、目が離せないって感じなのかな。
怖いもの見たさとは違うんですよ。
リジィには王者の風格ってのを感じたんだけど、ヴァレリーは不安定なんです。
なんだろう。
ちょっと間違えたら壊れてしまうんじゃないかって思うような。
言ってることもやってることも(歌詞も含めて)、全然弱さ的なものは感じないんだけど。
本人は復讐に燃えてるみたいだし。
だけど、うーん・・・・もろ刃の剣的な感じで危うさがあるというか。
復讐という目標が鎧になっているけれど、それが果たされた時、あるいは砕けた時にハートを守っていた鎧がなくなってしまったら・・・
どうなってしまうんだろう・・・
今のままなら、『解放』されるのではなくて、『粉々に砕け散る』んじゃないかって心配になっちゃう。
私に(←聞いている私ね)不安定な気持ちを抱かせる要素の一つに、ヴァレリーの話し口調も大きく関係してると思う。
ものすごく独特の話し方の人です。
えっと、具体的に言うと・・・・
普通にみんなが話しているのと、息継ぎのタイミングをずらす感じですね。
このタイミングが違うってのは楽曲でも同じ。
それゆえにざわつくんだろうとは思うけれど、そういう話し方をする人ということ自体、全てをひっくるめて『ヴァレリー』という存在になってる。
と、ここまで読んできてくれて、『昨日とずいぶん温度が違うな』って思ったんじゃないでしょうか?
タナトスは楽曲1つにシチュエーションパート。
コープスは楽曲2つにシチュエーションパート。
シチュパートの収録時間自体はそんなに差がありません。
それでも、これだけ書くことがある。
しかも、気がついてますよね?
ここまで、物語の内容(あらすじ)にはひと言も触れてないです。
そして、コープスも次のシーズンがあるだろうということを前提としている空気がある。
要するに、今回のお話だけでは『つづく』という終わり方ということです。
リジィでもヴァレリーでも、わたしは無事に復活祭を乗り越えるようですから、少なくとも1年は命が延びたわけですね。
でも、それは何も『解決』していないし、彼(ら)と心が通じたわけでもない。
そんないかにも『次回シーズンを待ってます』っていう作り方はどちらも共通だというのに、どうしてこんなに評価が違うのか。
それは、ホントに簡単な話です。
コープスには、彼(ら)の内面や背景がチラチラと描かれているから。
(タナトス1期目には薄いながらもチラッとあったのに…リバイバルでは全く無かった)
リジィの方は云わば王道的な感じがするから、さほど際立った感じはなかったけど。
ヴァレリーは奥が深そうな気配にゾクゾクします。
彼の台詞に出てくる『復讐』にしても、『パパとママ』にしても。
今回のお話の中では何にも分からない。
彼が顔の右目を隠す仮面のことにしても。
そりゃ軽くは触れてますが、それがどこまで彼に影響を与えるものだったのかってのは、まだ私が知り得ていないこと。
もっとも、これで次のシーズンにタナトスリバイバルみたいに『同じことの繰り返し』になるんだったらお話にならないけど。
でも、コープスは『繰り返し』にはならないだろうな。
これは・・・感覚的なものだから具体的に説明のしようがないんだけど。
CDを聞いている時の『空間の広がり方』の違いとでも言いましょうか。
まだ私には見えていない風景がずっと遠くまで広がっている、という感じ。
この感覚ってディアラバにも通じてるものなんだけど。
『今』の彼(ら)しか私には見えないけれど、『今』の彼になるまでには『過去』の積み重ねがあったはずで。
そういう積み重ねが『人物』としての深さと厚みを作り出すわけですね。
それは作品に出てくる場所にも言えることで。
私は今いる場所しか知らないけれど、私の知らない場所ってのは無限に存在してる。
そういう知らない場所にだって彼が存在している。
私に見えてないから『無い』ってわけじゃない。
知らないこと(あるいはあえて知らせないこと)をどれだけ綿密に創り上げられているかで物語の奥行きや世界観の大きさが決まると思う。
やっぱり、そこが大切かな。
例えば、『A』という出来事を作品にするとき。
イメージでいうと、1枚ペラリの紙の上にちょこちょこメモ書き程度のものと、同じ紙でも詳しい内容とイラストを書いたものと、立体模型(ジオラマ)で詳細を描いたもの。
どれが一番心を打つかって言ったら・・・・・これは言わずもがなでしょう。
注:これはもちろん比喩です。(分かってると思うけど)
実際にジオラマを作れなんて言ってませんからね。
(作るなら”心の中”と”頭の中”)
というわけで、次期シーズンがあることを全力で期待します。
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