私のブログ常連の方はもうご存知のことと思いますが、感想は少し下がったところからのスタートです。
今日は金曜だというのに、まさかの早帰り(笑)
1回戦(機械1回まわし)で収まってしまったのでお昼にはお仕事終了となりました。
早く帰れると、それだけ家作業(ビーズ関係)やそれ以外の雑用ができるから良いんだけど…。
それでも、時給で働いてる身とすると来月のお給料が恐ろしい。
・・・恐怖の10月だっていうのに。。。。
更に、今日のとーこエリアは一日雨。
ということで、集金開始のはずだったんだけど、これもお休み。
明日から天気も持ち直しそうなので、明日からの4日間にかける!
で、帰りに寄り道。
本屋さんに寄って、来月のテレビガイドとこの間見た映画の原作『藁の盾』を買ってきました。
『藁の盾』、講談社文庫から出てるってのは覚えてたんだけど、作者の名前・・・なんだっけ。(笑)
まあ、講談社文庫のところをずらっとみれば良いかと思っていたら・・・・
そうでした、この本屋さん、出版社に関係なく著者別に並べてるんだった。。。。。
スマホ出して検索しようかと思ったところで、確か最初の一文字は『木』だったような・・・
合ってました。
木内一裕さんでした。
その場で、ざくっと中身を斜め読みして・・・。
瞬間悩みました。
それというのも、文章の書き方が通常の『小説』ではなく、どちらかというと『脚本』に近い感じがしたから。
セリフ以外のところはト書きみたい。
ト書きを詳細に書き綴ることで情景を見せる、ちょっと不思議な書き方です。
やっぱり、買いとなりました。
(さあ、いつ読み始めようかな)
ということで、今日の本題はこちら。

大正偶像浪漫「帝國スタア」キネマトグラフ 零番星 冲人
ボイスは鳥海浩輔さん。
ではでは、いつものように、ネタばれは困るのって人や
こういうのって興味ないんだよねって人は
このまま回れ右してお帰りくださいね。
今回の冲人は、キネマトグラフで増えたキャラクターになります。
彼はどんな人物なのかというと、まだスタアたちのことを○番星と呼ぶ前のこと。
帝國スタアの初めての公演の時の立役者。
冲人がいたからこそ、帝國スタアがスタートしたし、多くの人に認知された。
ところが、彼が舞台に立ったのは、一度だけ。
『華族の男子によって構成される歌劇団』
この触れ込みが仇になった。
正妻との間に子供ができなかった関係で、表向きは正妻の子になっているし、正当な後継者なのだけど、人の口には戸は立てられません。
妾腹の子という噂が流され、それが原因になって帝國スタアを退団してしまっていました。
『わたし』と冲人が最初に出会ったのは、関東大震災の日。
崩れ落ちた大帝國劇場の前。
ここに立ちすくむ『わたし』を見つけ、声をかけてきたのが冲人。
わたし、幻の零番星と言われた冲人のこと、知ってました。
直接の知り合いということではなく、『キネマトグラフ』で見たことがあったんです。
たった一度の公演。
無音声とはいえ、録画してあったというのは奇跡にも近い。
きっとね、前オーナーの遺志を継いでこの大帝國劇場のオーナーとして、ここに携わっていきたいと思ったのは、このキネマトグラフが切っ掛けだったんじゃないかと思うんです。
冲人の演技にすっかりと魅了されてしまったのだと。
だから、崩れ落ちた劇場の前で、冲人に出会ったことはもの凄い驚きだった。
それと同時に、運命も感じた。
『この劇場を再建させるために、どうしても彼の力が必要』だと。
次のシーンでは月日は流れ、2年後になってます。
劇場再建も順調に進み、こけら落とし公演が迫ってきているある日。
えーとね、これまでの壱番星から伍番星のスタアたちは、『どうしようもない子』から成長してきてたわけですよ。
成長の最終段階の切っ掛けになったのは関東大震災なわけです。
その2年後、劇場再建が叶ったころのお話が今作ですよね。
まあ、成長したと言っても、完璧とはいえずに、やっぱりどこかぎこちなかったり偏ったりしてる部分もあったりして、そういう部分を今作で見直して、更に良い男へと成長していくってわけですね。
冲人の場合、その成長過程というか、成長の切っ掛けがないですから。
問題有り有りの状態での”今”となるわけです。
まあ、何て言うんでしょうね。
同じことを言うのでも、言葉の選び方一つで物事ってのは大きく変わっていくと思うんだけど。
確かに冲人の言うことは正論なんだけど、そこは『ズバリ』と言ってしまえば当然反感を買うでしょうっていうところに気が回らない。
気が回らないというよりも、気にしたことも無いんだろうな。
稽古の最中、演技指導というよりは注意になってしまう。
聞いていて、『そこはもっと言い方があるでしょう』ってハラハラしちゃう。(私が)
ほら、案の定。
他の団員に総スカンを食らっちゃいました。(苦笑)
一番簡単な解決法は、冲人を切り捨てること。
でも、それだけはしたくない。
わたしは、彼の舞台をこの目で見たい。
わたしは『平民のクセにオーナーになった』と言われたところからスタートしてるわけですから。
今はかなりの人望を得ているけれど、人には言えない苦労をしてきてるのだから、彼を降ろさず収めるために頭を下げたり調整したりっていうのはちっとも苦じゃない。
『新しい帝國スタアの始まりには冲人は欠かせないのだから』
そんなわたしの気持ちを汲んで、自分の言動に注意を払いつつ再び稽古の現場。
上手くいくかと思っていたら・・・・
やっぱり、ちょっとした挑発に乗ってしまい・・・・・・
人それぞれには『弱点』ってものがあると思うけれど、冲人の場合は『妾腹』ということ。
別に跡目争いをしたわけでもなく、他に子供がいなかったというのだから、大切に育てられた方なのではないかと想像がつく。
彼の立ち居振る舞いを見ていても、生まれながらの華族と何ら変わりはない。
それでも彼が妾腹にこだわってしまう理由。
具体的に明かされてはいないけれど、”陰で“色々と言われたことが分かる年齢になり、それが積もり積もって過剰に反応してしまうっていうことになったのかもしれない。
ということは、私の想像だけど。
屋敷に使用人も置かずにたった一人で生活しているということを考えると、当たらずも遠からずなんじゃないかな。
冲人は人を信用していない人だったのね。
きっと表の顔では良いことを言っていながらも、裏に回って酷いことを口にしているっていう、人間の裏表をたくさん見てきたんじゃないかな。
そんな風に人を信用できない冲人は、わたしのことも信じてなかった。
わたしが冲人に舞台に出てほしいと思ったのは、話題作りのためだと。
『あの幻の零番星がこけら落とし公演で復活する』
このまま、自分が切り捨てられることになっても、それはそれでスキャンダラスな話題作りになるのだから。
作中で冲人が言っているのだけど、自分とオーナーは境遇が似ている。
自分は妾腹だと華族からは蔑まれ、平民からは華族様と距離を置かれる。
『わたし』は平民の出のクセにオーナーになったとかなりの苦労を強いられた。
でも、『わたし』はいつの間にか劇場関係者からも華族からも人望を集めている。
『いったい、何が違うのか』
答えは簡単です。
それは『わたし』が人を信じているから。
自分の望みを語り、熱意を持って誠実に接すれば、必ず自分のことを信用してもらえると、力を貸してもらえると信じているから。
そして、冲人のことも信じているから。
この『信じる』ということを理解した時が冲人が変わる切っ掛けになりました。
前作のことを考えると、3時間越えの『彼らの人生』をギュギュッと1時間に押し込めるわけですから、大幅に時間経過を端折らないといけなかっただろうし。
きっと、盛り込みたいエピソードも最終的に削ったってこともあるんじゃないかな。
って、これも『私』の想像。
最終巻のこれだけ2枚組にしてもらえたら良かったなってチラッと思いながら。
それというのも、フリートークでも語っていたのですが、『時間経過』が難しかったと。
確かにそうなんです。
時間経過と共に、冲人の声に入っている『モノ』、『力』かな、違ってるんです。
それをね、もっとじっくりと味わいたかったな。
さて、ということで、今夜はもっとりっポンに行きます。
明日の感想記事もお楽しみに~

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