このところ連日新撰組で記事を書いているが、
今日もまた・・・ということで。

昨夜は『新撰組黙秘録勿忘草』の斎藤さんを聞きました。

初聞きの感想は2012年7月27日。

たびたび書いているけど、私は本当に歴史が苦手で・・・・・。

新撰組と言って思い浮かぶのは、沖田さん、土方さん、近藤さんの3人だけ。

斎藤さんって知らない。


ゲームからアニメになった新撰組をモチーフにした『薄桜鬼』。

薄桜鬼のTwitter-botで遊んでいたけど、
実は・・・ここだけの話・・・斎藤さんって実在の人だと思ってなかった。(爆)

その後、他の登場人物もほとんど実在すると教えてもらって、
だけど、特に史実を調べようとまでは思わなかった。
(ほら、歴史が苦手だからw)


そして、去年の7月26日に聞いて、27日に感想を書いたわけなんだけど、
この時も斎藤さんの運命がこれからどうなっていくのかっていう知識はない。


CD内で、命を受けて新撰組から離れるというものがあったのだけど、
ただ単に、どこか別の場所へ戦いに行くんだろう、くらいにしか思ってなかった。

実は、映画『壬生義士伝』を観るまで、ずっとこう思ってた。



たかだか150年くらい前のことなのに、どうしてこんなに『諸説』があるのか。
真実を知り、記した人はいないのかってのがすごく疑問だったんだけど、
この疑問も、昨夜の調べもので納得しました。

明治政府の中心は、いわば新撰組と対立していた勢力がメイン。
意図的に悪く書き残したり、資料を残さなかったり、
政府の意向がそんなだから、研究も進まない。

新撰組に深く関わった人たちや、本人たちから直接聞いたりした人たちは
昭和の初期にはまだご存命だったのだから。
新撰組にいて生き残った人たちだって明治大正と生き抜いている。


そう、斎藤さんも大正まで生きた1人。

直系の子孫の方もいる。



さて、先述の『命を受けて・・・』のこと。

諸説あるようだけど、どうやら有力なのは、

「近藤さんの命でスパイとして伊東さんが立ち上げた御陵衛士に入る」

というもの。


彼が『からなず戻る』と言った通り、7ヶ月ほどで戻ってきている。

(なんだ、あの後ちゃんと会えたのね)

っていうか、同じ京都にいるんだから人目を忍んでいつでも会えるじゃん(爆)



映画『壬生義士伝』の中では、斎藤さんが入手した情報をとある女性を介して
吉村貴一郎に渡してもらい、吉村が近藤さんに届けている。

このとある女性は斎藤さんの恋人として描かれていて・・・・。

ってことは、『わたし』じゃないか!(爆)

映画内では屯所には出入りしてなくて、
CD内では下女として働いているという差はあるけれど。



CDでは、斎藤さんに喋ってもらわないことには話が進まないから、
かなり饒舌に話してくれている。
本当は、寡黙な人だったというのが通説だからなのか、
『壬生義士伝』の中でも口に出して言うセリフは少ない。
ただ、口には出してないが、彼の思考としてのセリフは多々あるが。

ところが、寡黙なのって新撰組の時代だけのよう。

新撰組に入る前、江戸で口論から相手を切り殺してしまい、
父の友人の元に身を潜めた。
(この時に、『口は災いのもと』ということで、必要以外話さないとなったとか)
その場所が京都で、このときに名前も斎藤一と改名している。

新撰組に入ったら、それまでの罪は帳消しになるとかならないとか
っていうのがあったとか、なかったとか。。。
もっとも、江戸にいたころから近藤さんたちとは懇意にしていたようで、
それもあって入隊なのだろうけど。


イメージとしてね、新撰組の主要メンバーってのはみんな仲が良くて
ってのが・・・・きっとこれは薄桜鬼の影響も大きいんだろうけど。

それから、みんな近藤さんのことを好いているのだと。

近藤さんの事を慕っているから彼の志について行こうと・・・。

ちょっと違うのかもしれないな、と思い始めた。


斎藤さんは近藤さんに心酔して新撰組にいたのではなくて、
新撰組が会津藩主の松平容保についていたからなんじゃないか。

新撰組全盛期とも言える時期に永倉さんたちと一緒に
『近藤さんの所業が悪い』と訴え出たりしてる。

それでもスパイとして行動したりしてるのだけど、
近藤さんの命を受けたからというよりは、
御陵衛士は松平容保のためにならないと思ったからなんじゃないかな。

その後の行動を見ても、近藤さん率いる新撰組と命を共にするのではなく、
松平容保と共にいることを選んでいる。


京都を離れ江戸に戻った新撰組は散り散りになる。

近藤さんは改名して別の隊を作るし、
原田さん、永倉さんも別の隊を作る。
沖田さんは療養生活に入り、
土方さんは情勢の悪くなった会津を離れ、もっと北で体勢を立て直そうとする。


斎藤さんも改名して『新撰組』を率いるが、松平容保の居る鶴ヶ城を離れない。

容保が『もういい』と声をかけるまで、容保を守り戦った。


斎藤さんが心からの忠誠を誓ったのは、松平容保。
だから、容保がくれた『新撰組』を最後まで捨てなかった。
捨てられなかったんだな、きっと。



斎藤さんは謹慎生活ののち、藤田五郎と改名して大正まで生きてます。

あの戦いの最中、鶴ヶ城に逃げ込んでいた女性と結婚して、
子供も3人。
仲人が容保というから驚き。
彼の『誠』は通じていたんだ。(感激)


そうそう、明治に入ってからの斎藤さんのお仕事は、警察官。
警視庁に採用されて、いろいろ活躍したそうです。
新聞に載るくらい。



口論が元で事件を起こしてしまったというのだから、
本来は話すのが好きな人なのかもしれない。
晩年はよくお喋りをしていたという逸話がちらほら。

左利きってことになってるけど、どうだろう??

左手に首、右手に刀という絵があったけど・・・。





いろいろ調べているうちに辿り着いたのが斎藤さん大好きだという方のHP。

実際に会津にある斎藤さんのお墓に行った話や、
戦いの場のリポート、資料館のことなど、
他では書かれていない密接したレポートをたっぷりと読ませてもらって、
何気なくリンク先をポチっとしてみたら・・・・


そこにあったのは、Twitterの診断メーカー。
しかも薄桜鬼。(笑)

えぇ、もちろんやってみましたともwww

不思議と原田さんばかり出てくる!
原田さんのことはまだ調べてないから、今出てきても・・・萌えないじゃないか(爆)

ってことで、3つばかりタイムランに流したところで、
CDタイムに突入しました。


いつ聞いても号泣してしまっていた斎藤さん。

昨夜は、『7ヶ月後には・・・もっと早いかも・・・には会える』ってのが
頭にあるものだから、泣きませんでした。

う~ん、それでいいのか??

って気がしないでもないけれど。。。。











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