今朝のテレビで箱根で局所的な地震が頻発しているという話題を見た。

これホントに局所的みたいで、ほぼ大涌谷だけという感じみたい。

というのを見て、思い出した。


約2年前。
東関東大震災の後、余震が頻繁に続いていた時。

あのころ、うちのところだけが揺れる地震が頻発していた。

もちろんテレビに情報は流れず、
生放送を見ていても『揺れてますね』なんて会話は出てこない。

だいたい揺れ方もおかしい。

地鳴りがゴゴっと聞こえて、

『はっ!これは大きいかも!』と、身構える。

グンと一揺れ・・・・・・・・・あれ?終わり?

こんな地震が日に何度も、そしてほぼ毎日。

下手すると、うちのマンションしか揺れてないという勢い。

○×(うちのマンション名)地震、なんて名付けてみたり。


そんなふうに、震災の時のことを思い出したら、
もう一つ、思い出したことがあった。

人間って、すぐに現状に慣れてしまうものなんだな。

あんな体験をしても、日常が戻ってくると、日々の生活に追われ、
あの頃の気持ちも薄れていってしまう。

ダメだ、ダメだ。
忘れちゃいけない。

あの揺れの中で、自分の人生の終わりを覚悟したこと。

子供たちの今後を見届けることなく先に逝ってしまうんだ・・・
ごめんね、そして強く生きてって思ったこと。

私も、子供たちも、みんな怪我一つなく無事でいられた幸運。

『生かされているんだ』と感じたこと。

『守られているんだ』と感じたこと。

普段、希薄なマンションの住人達と声を掛け合ったこと。

たくさんの励ましのツイートで勇気づけられたこと。

大好きな人のツイートで癒されたこと。

若干、睡眠障害に陥ってしまった自分を立て直してくれたCDたち。

これら全てのことに感謝していた。


この感謝の気持ちが薄れてきてた。


好きだと思えることを仕事にしていられること。

好きなシチュCDを買ったり、舞台に行ったり、イベントに参加したり、
ライブに行ったりできるということ。

私のことを思ってくれる友達がいること。

思ってあげられる友達がいること。

好きで好きでたまらない人がいること。

毎日恋をしていられること。

私の守護天使が見守っていてくれること。


おや、胡散臭い話が出てきたぞ、って思った人は
ここからひと塊り飛ばして読んでね。


私の守護天使はどうやらとてもおとなしいタイプなのか、
それとも、私がうまくキャッチしてないのかな。(こっちだなきっと)
さっき、ドリーン・バーチューさんの本をパラパラ読みなおしていた時、
『本当に天使は自分と一緒に居るんだろうかと思ってていたら、
事務所の床に羽が落ちていた』
というエピソードを読み・・・・・
そう言えば!
昨日の夜(その数日前にもあった)、羽とまではいかないけど、
羽の一部・・・1本の毛束といったものが私の視界にふわりと飛んできた。
その時は全然気にしなかったけど、考えてみたら、我が家には羽毛製品がない。
いや、正確にはそれぞれの寝室にはあるけれど、
リビング兼仕事部屋のここにはない。




こういう全てのことに感謝。



とある方が教えてくれた。

思いが過ぎるとツノが生え『思⇒鬼』人は鬼になる、と。

なるほど、思いが過ぎるということは、『執着』ということ。

思いを寄せても、執着はよろしくない、ということか。

執着はただ思うこととは違う。

そこには意識的にしろ、無意識的にしろ、何らかの見返りを求めてる気がする。


彼のことが大好き大好きで大好きだけど、
この思いが執着にならないように・・・心しよう。









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