今日はアラームを鳴らさないで、心おきなく寝てみようということで、
起床は8時10分。
ホントはもっと寝ていたいと思ったんだけど、
今日、ゴミの日だった!
「まだ来てないよね?」
って窓から覗く。。。
――あ、来た・・・
さすがにね、寝なおすわけにはいかないから朝ご飯の支度。
以前、ブログにも書いたけど、我が家の朝ご飯は世間の晩ご飯。
本日のメニューはハンバーグでした。
ハンバーグ作るの久しぶりだから、作り方を忘れた・・・・・
なんてこともなく。
そうそう、我が家のハンバーグは玉ねぎを炒めないで生のまま混ぜます。
昔食べた喫茶店の定食でシャキシャキ玉ねぎのハンバーグが美味しくて、
それ以来、ずっとなんです。
さ、無駄話はこのくらいにして、
本題の震災二日目以降のブログ記事転載、いってみましょうか。
抜粋に伴う加筆をしたうえで18日まで、一気に行きますよ。
3月12日土曜日
今日はもともと仕事が休み。
朝、断水していることに気がついた。
マンションのため貯水槽があり、断水するまでに若干の猶予があったらしい。
台所の割れた食器を片づけ始める。
スーパーの袋(中サイズ)で2個分。
ビーズ部屋のビーズ以外のものを片づけ始める。
ビーズは…あまりのすごさに、どう手をつけていいのか…
途方に暮れる。
もちろん、この片づけをしている最中も大きく小さく揺れている。
揺れる回数に大きな変化はなさそう。
12日の昼過ぎ、北海道の実家と電話が通じる。
全員の無事と、状況を伝える。
テレビで情報を見ながら、揺れながらなので
片づけは遅々として進まない。
私の部屋、下の子の部屋はまだ手つかずのまま。
実は、上の子は13日から卒業旅行で熱海に行く予定だった。
一緒に行く子は都内の子なので大丈夫だという。
うちの路線は動いていないし、いつ動くかの予測も全く立たない。
とりあえず、東海大地震には発展しないだろうというどこぞの学者の
意見を耳にし、疎開も兼ねて熱海に行かせることにした。
電車は動いていないので、車で。
避難させられる場所があるなら、下の子も避難させたいくらい。
防災無線では断水の状況(復旧の見通しは立たない)ことと、
地震の情報を流している。
飲み水はマンションの防災備蓄が配給され、
友達の車で水道局にある給水車に取りに行く。
トイレの水はお風呂の残り湯を使う。
さらに、復旧のめどが立たないということで流すのは2回に1回。
お皿やまな板にはラップを敷き、洗わずにすむようにし、
包丁はウエットティッシュで拭く。
歯磨きは、液体口腔洗浄剤を利用。
洗顔は夏に使った残りの汗ふきのウエットティッシュタイプを使用。
手洗いはハンドソープで洗うけど、流すのは浴槽に溜めた水。
その後、インフルエンザの時に買ったアルコール消毒液を使う。
よくテレビで被災地の状況で
『トイレに行くのをがまんしたり、水分を控えたりして体調を崩す』
というのを耳にするが、
いざ自分がとなると、やはり水分を控えて
(それでなくても、普段からあまり飲まない方なのだが)
できるだけギリギリまで我慢するという、悪い子の見本みたいな状態。
たぶん、浴槽にある水も3日くらいで底をつくと思われる。
水道の復旧の見通しが立たないと言われているから、なおさら。
「何日後の復旧を目指している」
という広報があると、この不安感がなくなるのに。
部屋の片づけは終わらない。
この日は水のことだけで一日が終わってしまった感がある。
さらに、まる一日以上、頻繁に揺れる状態で、まるで船酔いのよう。
後のテレビ放送(22日)で知ったのだが、M5以上の余震は
福島県と茨城県に集中していて、その数は実に宮城の3倍近くになる。
もちろん、M5以下の地震も頻発している。
M4程度の地震でもうちのあたりは震度1~2くらいにはなる。
もうすでに、地震で揺れているのか、自分が揺れているのか
わからない。
この日もリビングでコートを着たまま寝る。
といっても、この日も頻繁に揺れていて、うとうと程度なのだが。
13日、日曜日
午前中のうちにヨーカドーに買い物に行ってみることにする。
断水が続いていて、お風呂に入れないから髪の毛はベタベタ。
コンタクトも入れられないので眼鏡。
髪の毛は帽子でカバーし、眼鏡に、花粉症のためにマスク着用。
まだまだ揺れているし、いつ大きな揺れがくるかわからないので
歩いて行くことにした。
普段よりも歩いている人が多い。
開いているのは限られたエリアだけ。
報道にあったように、ここでもいろいろと売り切れになっている。
この時点では計画停電に含まれていたので、
冷凍食品は買い控えられ、パンや牛乳、ヨーグルトが売り切れ。
お総菜は種類は少ないが並んでいる。
家にある食料を温存させるために、お弁当、ペットボトルのお茶を購入。
午後、防災無線で水道が復旧すると放送される。
ただ、水圧を低い位置からしか復旧させられないから
節水してください、とも。
うちのマンションでは16時予定。
その数分前、トイレのタンクに水が流れ込む音が聞こえた。
「あ、水が出たよ」
しばらくしてから、水道をひねってみたが…ん…出ない。
(まあ、うちは5階だから上に上がるまでにはもう少しかかるのかも)
30分後、管理事務所の人がお知らせの紙を持ってきた。
「水道が復旧したが、まだ水圧が低く、貯水タンクにたまらないと
再び断水する可能性があるので、できるだけ水を使わないように」
お風呂、シャワー、洗濯は×
トイレさえなんとかなれば、昨日貰った水もまだまだあるからなんてことない。
その30分後くらい。
今度は各棟の班長さんがお知らせを持ってきた。
「思ったより水の使用量が多くて貯水槽に水がたまらず断水させました」
もう、誰よ~水を大量に使ったうちは~
ふと外を見ると。
「あ、あそこの家も、あそこの家も洗濯物が!」
バレバレですよ。
暗くなる前にと、ビーズ部屋のビーズ以外で崩れたものをなおす。
ドアが半分しか開かなくなっている私の寝室は
身軽な下の子を潜り込ませて、本やDVDをザッと片付ける。
下の子の部屋の本棚には壁と本棚を固定するための金具を
つけていたのだけれど、揺れの大きさに振り切られたようで
ネジが抜けていた。
昨日よりは揺れていない時間が増えているようだけど、
頻繁であることには変わりない。
情報源としてテレビはつけっぱなし、リビングの電気も点けたまま。
その代り、HOTカーペットの半面だけ使用し、
厚手のフリースを重ね着して毛布にくるまり、リビングで寝る。
寝れていないけどね。
今回の地震、物が動いた向きや落ちた向きを考えると
東西に揺れたようだ。
でも、建物の構造上、揺れるのは南北。
5階の我が家の被害が大きかったのは、
東西に動いた地面の揺れを建物が吸収した時に南北の揺れに変換。
そのため回転するように、うねるように揺れたようだ。
14日月曜日
いつも通り、10時出勤。
広告の量からして、普通にやっても12時くらいには終わりそう。
それでも、一刻も早くと、機械をガンガン動かして
仕事終了は驚きの11時30分。
「私たちの本気ってすごい」と言いながら、
「じゃ、普段は本気じゃないんだ」なんて笑い飛ばす。
翌日から広告はゼロになり、この週は自宅待機となった。
この時点で、すでに3日間ほとんど寝ていない。
でも、不思議と眠くならない。
緊急地震速報を見るためにテレビはつけたまま。
テレビは今回の地震の原理と津波の映像だけ
繰り返し繰り返し流し続ける。
地震の映像を見るたびに、自分が体験した映像が頭を過る。
テレビで緊急地震速報が流れるたびに、立ち上がり警戒する。
横になって、目を閉じていても眠れない。
眠れないのは、揺れているからなのか、神経が緊張しているからなのか。
そのうち、震度3程度の揺れではテレビに「地震速報」が
流れないことに気がついた。
15日火曜日
我が市は被災地認定を受け、計画停電からはずれることになった。
正直、震度1~3クラスが頻発している中、停電で情報が0に
なってしまう恐怖から解放されたことはすごくありがたかった。
16日水曜日
ウエザーニューズでパソコンにダウンロードできる緊急地震速報の
アプリを見つけた。
ウエザーニューズの有料会員になっていると使える。
私は会員なのでさっそくダウンロード。
下の子のノートパソコンにもダウンロード。
震源地と最大震度、自宅までの到達時間、予想震度まで出る。
残り10秒のカウントダウンもしてくれる。
時には誤報もあったり、震源地が近いとアラーム&音声と同時に
揺れたり、すでに揺れ始めていたりするけれど、
それでも、この揺れがまだ大きくなるのか、
このくらいで終わるのかの目安になる。
その分、ストレスが減った気がする。
18日にようやく電車が復旧した。
全線開通はまだ先だが(ここから5駅先は駅舎が崩れたりしたらしい)
通常の50%で動いている。
他の家はどうなのだろう。
うちの場合、11日から寝るのはリビング。
パジャマは着ないで服のまま。
どうしても時間のかかってしまうお風呂は怖くて、朝にシャワーを浴びる。
毎日揺れる。
情報源のテレビは地震津波の悲惨な状況しか流さない。
神経が高ぶって眠れない。
こんな時、とても心の支えになったものがある。
それは、Twitter。そして、大好きな人の声。
TwitterでアニメのBOTさんたちが次々と自粛する中、
手動で励ましのリプをくれたり、いつも通り(時間の間隔はあけているが)の
ツイートをしてくれたり。
フォローしている声優さんたちも、毎日のように励ましのツイートをしてくれる。
どちらも「一人じゃないよ。みんなと繋がっているんだよ」
と言ってくれているように感じた。
大好きな声優さんの歌をエンドレスで聞く。
どこから手をつけていいかわからないほどだった部屋も、
彼らの歌声を心の支えに乗り切った。
BOTと声優さんの声がなかったら・・・。
平常心を保っていられただろうか・・・。
不安と恐怖で心が折れてしまっていたかもしれない。
と、こんな感じで7回に分けて書きました。
この後、自分の寝室でパジャマを着て寝れるようになったのは
実に3週間後のこと。
日中は鍵をかけず、夜も3日目くらいまではかけなかった。
観音開きの食器棚にはストッパーをつけ、
つけられないところは今でもガムテープが貼ってある。
ビーズ棚には荷物を縛る時に使うビニール紐を張り、
少しでも落下しないようにしている。
玄関に置いてあったガラスの飾りものは、今も下駄箱の下に横たわっている。
パソコンを吊り下げてくれたプリンタケーブルは
差し込み口部分の金属が曲がった。
部屋の壁紙は継ぎ目の部分がはっきり分かるようになり、
さらに継ぎ目ではない部分でギザギザに裂けているところもある。
この地震で壊れたマンションのポンプ室。
今度の木曜に工事するので9時から17時まで断水することに。
今から、
――トイレはケーズデンキを使おう
と、
心に決めています。
