明日から3連休ということで、今日はガッツリ働いてまいりました。
そう、そして、珍しく私も3連休。
集金も終わってるし、完全な連休って、ホント久しぶり。
今晩は何を観ようかなと、レコーダーのハードディスクを見ていたら、
8月12日に放送された震災のドキュメンタリーを
まだ見ていなかったことに気が付いた。
フジテレビで放送されたもので、見た方もたくさんいるのでは?
子供の時は海の側に住んでいたので、高波などは見たことあるんです。
だから、津波も高波と同じ様相で襲ってくるものだと思ってました。
でも、この番組でそれが間違いだと・・・。
波が来るんじゃないんですね。
海面が盛り上がる・・・というか、海面の下の方から持ち上げられる感じ、
とでも言えばいいのか。
震災の時はまだアメブロで書いていなくて、BIGLOBEを使っていた。
前日の3月10日にはフェロ☆メンのCDが届いた記事を書いている。
次に書いた記事は3月12日。
ただ、この記事はあまりにも自宅の特定ができてしまうくらい、
自宅周辺で手に入れられる食料や水のお店等の情報を書き込んでいたので
しばらくしてから削除しました。
そして、3月21日から「記憶が薄れる前に」記録しておこうと
7回にわたって書いている。
ちょっと長いが、震災当日のことを書いた記事を転載してみよう。
11日金曜日10:00出勤
この日は、新聞の折り込み広告の仕事。
金曜日の割には少なめの日で、お昼までの作業状況から考えると
遅くても17時くらいには帰れそう。
11日12:00~13:00
近所のパン屋さんへお昼ごはんの買い出し。
今日は夜ごはん分も買う。
11日14:20~40
夕刊部隊が出発
11日14:46(ここは2分後くらいに揺れ始めた)
私は機械操作を担当している時だった。
2日前に感じたような大きくゆっくりとした横揺れ。
揺れ幅がだんだん大きくなる。
ここで機械をSTOP。
作業室の奥にある事務所のドアが開かなくなると、
中の人が外に出れなくなるので、ドアを開ける。
同時に作業室から外に通じる引き戸も全開に。
揺れは収まるどころか徐々に大きくなっていく。
棚に積み上げていた明日の広告が崩れ始める。
全員、外へ避難。
店から外へ出ると、そこは片側2車線の大きな道路。
向かい側にはドコモ、ソフトバンク、auが並んでいる。
そこのお店からもお客さんと従業員が続々と外へ出てくる。
道路に停まった車も大きく揺れ、道路がうねる。
数秒だが停電。
今考えると危ないのだが、近くにあった自転車につかまる。
大きな揺れが終わってもなお、小さく揺れている。
店の中に戻ってみると、積み上げた広告の束が結構崩れ、
出入り口の上にかけていた時計がが落ち、大破。
室内に戻り、時間を見るとちょうど3時。
この時間、上の子は早ければ都内へ向かう電車の中。
(まだ家かもしれない)
下の子は、近所の電気屋さん内でバイト中。
ケータイは通じない。メールも出せない。
店の電話を借りて家電にかけてみるがダメ。繋がらない。
いつもなら、3時休憩の時間だが、コーヒーを飲む気分じゃない。
でも、ちょうどホワイトデーのケーキの差し入れがあったので
休憩に入ることに。
コーヒーを淹れて、崩れた広告を片付け終わった時…
11日15:15
再び大きく揺れ始める。
すぐに外へ避難。
「これは、さっきよりも揺れてる感じがする」
店の建物全体がギシギシ音を立てる。
お世辞にも丈夫な造りとは言えない店なので、正直怖い。
小学校へ子供を引き取りに行っていたお母さんと子供が
店の前の道路でしゃがみ込む。
このとき、私の頭を過ったのが映画「ザ・コア」のエンディング部分。
止まってしまっていた地球の中心部「コア」が動き出した時、
まるで地球自ら自分を修復するかのように
あちこちで地震を引き起こしていた映像。
うねる大地。
大きな揺れへの恐怖と共に、普段感じていない大地・地球の息遣いを感じた。
このお店、新聞屋さんなのに、テレビもラジオもない。
震源地も震度もなにもわからない。
「そうだ、私にはネットがあるじゃないか」
ここで初めて最初の地震の震源地が宮城であることと
震度7だったこと、続けて茨城沖でも地震があったことを知る。
(ここは震度6強)
再び停電になると困るので、1分でも早く機械だけでも終わらせなければ。
11日16:50
自転車で約10分。
通り道にあるお店はすべて閉店したようだ。
下の子のバイト先の電気屋も閉まっている。
自宅(マンション)の外見は大丈夫。
車がないから上の子は出かけたらしい。
「今、どこにいるんだろう」
急いで階段をかけあがり、ドアを開ける。
玄関に置いてあるディスプレイ用の顔無しマネキンが倒れている。
(瞬間、うちの子かと思った!)
声をかけると、下の子が返事をする。
「大丈夫?」
「家の中、大変なことになってるよ」と、子供。
玄関正面にあるビーズ部屋は、ビーズがほぼ全部棚から落ち、
ディスプレイ作品も落ち、パソコンも落ち、電話もラックも落ちている。
玄関脇の自分の部屋のドアは半分しか開かない。
室内の本やDVDが崩れていて、それが邪魔になっているようだ。
台所では観音開きの食器棚から食器が落ち
冷蔵庫、電子レンジ台がずれている。
リビングではテレビがもう少しずれていたら落ちるところまで動き
ビデオテープも崩れ落ち、オーディオラックの上からゲーム機が落ちている。
電子ピアノの上に置いてあった電話の子機が落ちている。
花瓶も落ちてHOTカーペットが濡れている。
下の子の部屋は本棚から本が落ち、
コレクションケースからポケモンたちが落ちた。
上の子の部屋は背の低いものばかりのおかげで多少ずれているくらい。
一番被害が少ない。
そうしている間も、大きく、小さく揺れている。
うちは5階だから、揺れも増幅されるのだろうか。
一つの揺れが終わると、またすぐ次の揺れが来る。
それこそ、ずっと揺れている感覚。
とりあえず、リビングから玄関までの避難経路の安全を確保。
落ちたパソコンはかろうじてケーブルでぶら下がっていて、
地面に落下せずにすんだ。
パソコンを救出、電源が入るかどうかのチェック。
立ち上げる。なぜか音声がすごく小さい、一度シャットダウン。
もう一度立ち上げ…今度は大丈夫。(よかった)
テーブルの下、一番安全と思われる場所にパソコン避難完了。
断水するとの放送が入る。
ガスは震度5以上で自動停止しているはず。
(復帰作業は明日の朝でいいや)
11日18:30
上の子が最寄駅から帰宅。
普段、車で10分未満の距離が1時間以上かかったとか。
いつでも逃げられるように玄関のカギは開けたまま
リビングの電気とテレビはつけっぱなし。
服はもちろん、コートも着たまま。
深夜になり、さすがに少しは寝なくちゃ、と思っても
うとうとすると揺れで目が覚める。
目を瞑っているだけで寝ていない状態のまま、朝をむかえる。
12日以降の分はまた明日にでも。
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