百六十四回目の受診で、心理氏とは150回目のお話。今回もただただ、何故孫の泥水が祖母の死後事務に走り回っているのかの愚痴、身内の使えなさや、それでいて文句は言ってくる図々しさなどに対する呪いをひたすら吐いていた。
心理氏はそれらをいつもよくまとめてくれ、泥水を上手く労ってくれると思う。
泥水は上記のようなことを愚痴りながらも、必ず「でも結局はそれを引き受けた自分が悪い」のように、周りに吐く呪いが全て自分に還るような話し方をする。
実際問題、兄弟のように泥水も基本は無関心で、求められればできる範囲で周りに助力すればいいだけだ。でも泥水が大体問題を最初に発見して言い出すので、周りは何かにつけて泥水に「どうするの、これ」と持ち込んでくる。どうするのじゃなく、気付いた時点で自分でやれ、と本当は言い返したい。でもそれをすると結局話がややこしくなるので、指示を出して終わる、もしくは引き受ける。
周りはそれほど無能でポンコツなのか、それとも泥水を体よく使える賢い人達であるのか、と泥水には恨みが沸き上がる。ポンコツならある意味仕方ないのかもしれないが、どうにも周りは見て見ぬふりが上手いか、自分以外がどうにかしてくれるのが当たり前と思っている人達にしか見えない。何故周りにはその受け身姿勢が許されて、泥水が同じようにしようとすると我が侭やさぼりだと言われてきたのだろう。泥水に助けを求めてくるのは、たいていは泥水のことを我が侭やさぼりだと言ってきた人達だ。もうこれは周囲の投影だと薄ら思っている。
それでも泥水は「それらをさばけない自分が悪い」は必ず付け加える。心理氏は「実際にそれで状況が破綻して、泥水さんが何度も困ってきたから、やらないでいるわけにいかない環境では?」と、「さばけない」泥水の理由を指摘する。
泥水のいる環境、特に両親は、何度も物事を投げ出して破綻させた。いつも多分心理氏の言う通り泥水は恐怖で動いている。わかってもどうにもならないが。