今日は聖日ミサの後、長男はお友達とライブに出かけました。

次男は、 「高校受験が終わったら、大好きな神父様から洗礼を授かりたい。」 

と言う話をしながら軽くランチをすませ、図書館に勉強に行ってしまいました。

子供達も、ドンドン自分達の世界を持ち始めています。

成長が嬉しい様な・・・でもその反面、とても心配でもあり・・・。

思春期の子を持つ母親の気持ちって、複雑ですね。



でも、子供達は本当に波乱万丈!?な幼少時代を過ごしたにも関わらず、

今のところ、素直に育ってくれている様に思います。

先日、長男がお友達から借りた 「ドラゴン桜」 という漫画を読んでいた時の事です。

この漫画は、学力が低かった高校生が東大を目指し、合格するという内容なのですが、漫画を読みながら長男がこう言ったのです。



「家庭環境が複雑で、寂しい子供は東大に合格するんだってさ。

 ボクは、幸せな家庭に育ったからナ~。 むっ 」



という一言を聞き、私は驚きの余りひっくり返りそうになってしまいました。

そしてその後、そう思ってくれていた事に心から感謝しました。



「絶対に子供は渡さない !!」 と、暴れる父親のもとから、夜逃げ同然で日本に帰国し、母子家庭で寂しい思いもさせました・・・そして、母親の再婚・・・。

どう考えても、家庭環境はメチャクチャです。 ガーン



けれども、高校生の息子が 「自分は幸せな家庭環境で育った。」 と感じる事が出来たのは、今の主人が実の父親以上に、子供達を愛してくれたお陰で、韓国での辛かった「脱出劇」も、トラウマにならなかったのかもしれません。

主人は、学校の行事やPTAにも積極的に参加してくれていますし、子供に関して私に不平不満を洩らした事も一度もありません。そんな主人には、心から感謝しています。



又、修道院のシスター方やブラザーに、「イエス様が愛された幼子」として愛され可愛がって頂いたお陰で、母子家庭であったとしても、子供達は寂しく感じていなかったのかもしれません。



正直、私は統一教会を脱会した当時、 「宗教はもう懲り懲り」 だと思っていました。

又、日本での新たな生活を軌道に乗せる事だけで精一杯で、

とても日曜日に教会に行く体力は残っていませんでした。

では、どうして教会に通う事になったのか・・・それは、長男の一言がきっかけでした。


「ボク達、日曜学校に行かなくていいの?」



そうです・・・韓国に住んでいた当時、私は雨の日も風の日も礼拝には必ず参加し、子供達も日曜学校に通わせていたのですが、長男はそれをしっかりと覚えていたのです。

しかも、一度思い出すと、子供ってしつこいのですよね。

毎週、日曜日になると、



「教会に行かなくてもいいの !? 攻撃」 



が、はじまってしまいました。 叫び



離婚をする時も、私は子供達の意思を確認しました。

子供ってどんなに幼くても、全て見ているし、感じているし、子供なりに自分の考えを持っています。



なのに、子供達が 「日曜学校に行きたい。」 と言う意見を無視する事は出来ません。

「日曜学校に通っていたら、良い子になれるよ。」と、言い続けたのは私です。

又、私自身、母子家庭での子供達の成長には、様々な不安もありました。



その為、色々な教義や教会の様子をザックリ調べ、

統一教会の日曜学校に通っていた子供達が、

最も違和感なく通えそうな、カトリック教会の日曜学校に通わせる事に決めたのでした。



今にして思えば、文鮮明氏が若い頃に所属していた「イスラエル修道院」って、

カトリックの影響を受けた新興宗教団体だったのですから、

違和感がないのも当然だったのかもしれません。



かくして子供達は、


アボニム ⇒ パパ様(ローマ教皇)

オモニム ⇒ 聖母マリア

興進ニム⇒  26聖人の聖アントオ(13歳で殉教)


という様に、信仰をスライドさせる事が出来たのでした。



この様に、私がカトリック教徒となった初めの動機は、

統一教会を脱会しても神に仕え、マザーテレサの様に生きたい・・・と思った訳ではなかったのでした。ショック!