3/3 トークイベ | ✈地球サイズの晴天* 100カ国traveler旅ブログ

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これまで100ヵ国を旅した東京で働くさらり~まん兼バックパッカーが日本と海外に関する旅とグルメの情報・ディープスポットを紹介します.
The traveler working in Tokyo who traveled to 100 countries to introduce Journey of information blog.


・高円寺は音楽家芸術家映画人芸人さんなどが住む洒落た町なんだと実感。


・日本酒の良さげなお店がありましたが予約で入れず。酒場も予約が必要。


・ストリートで音楽やプロレスなど、中々な面白ろなフェスと思いました。


・さて少し早目に戻って、目的のお土産こけしをゲット。参加2500円。


・石川さんトークイベ。小さな畳部屋に33人定員キャン待ちが出る人気。


・村野氏の進行で、ほあしかのこさん、こけし館山田氏が石川さんを援護。


・工人となった経緯や今さんとのやり取りなど貴重なトークが聞けました。


まず、工人を目指したのが先か、今さんへの弟子入りが先か、

その点についてのお話は少し微妙な気もしましたが、津軽系の工人になりたい、

と同時に、やはり今さんに付いてこけしを作りたいという思いというか、

偶然と必然が重なって自然につながっていたように思います。
 

というのも、まだこけしに興味が無い東京でのツタヤ勤務時代に、
当時特集された『こけし時代』を見たのが、こけしへ興味を持った

きっかけだったそうですが、その本に、今さんのこけしが4ページほど

紹介されていて、それを見ていたというお話でした。

ただそれを見て直ちに今さんのこけしに興味を持ち、

そしてすぐ今さんの弟子になりたい、と思ったわけではなく、今さん他、

津軽のこけしを見て、「工人」という職業に触れ、工人への憧れ、

いつか私も工人になりたい、今さんのようなこけしを制作したいと

そう段階的に思っていったように思われました。

工人になりたいという思いからこけし館に勤めだしてから、
ぼんやりと今さんのことの認識はどこかにあって、いろいろ関係を築いていく

中で、今さんへの弟子入りのことを強く意識し出したということなのかな

と思いました。

ただ工人としての修業を始めた時も『今さんに教わっている』というだけ

の位置付けで、明確に『師匠と弟子』という関係でスタートした訳では

無かったようです。当時今さんのご体調があまりすぐれない時期でしたから、
また人生を左右する決断で、この先どうなるかも分からなかったそうですから、
今さんとしても明確には伝えられなかったという事情もあったのかなと思います。
いつの間にか、そういう関係となって認められていったようです。

もう一つ興味深かったいい質問として、今さんのこけしのどこに惚れ込んだのか、
ということに対する答え。これは、どちらかというと、コレクター目線の質問で、
石川さんがどういうスタンスでこけし工人に取り組んでおられるの

か、がわかる質問と思いました。でどのように答えたかというと、

今さんのこけしのどこがいいか、はっきり言葉ではあらわせない、
もしかしたらどこがいいかを今も模索している、のような回答だったと思います。

私なら、味わいのあるあの表情や、他に比類ない独創的な描彩や文様、
のように答えてしまいそうですが、それはコレクターとしては

正解かもしれませんが、作品を作り出す側の工人としては、
少し違うような気がしました。

変わっていると云われる今さんですが、おそらく、今さんがこけしにかける

思いや哲学、その考え方、さらには人生そのものに石川さんは惚れ込まれた

んではないかと思いました。

今や違うことなく承継者とされている石川さんですが、
線を引く技術や、描彩など、惜しみなく、教わってきたそうですが、
こうしてはいけない、とか、ダメ出しのようなことは一切なかったそうで、
それは鳴子時代の徒弟が嫌で仕方なかった今さんが、同じ思いはさせたくないという
気遣いでもあり親心なのかなとも思いました。

面白かったお話として、今さんが筆を両手使いで線を引いているのは

有名なお話ですが、(実際に線を引くところは見たことがないので、

正しいかわかりませんが)石川さんも左手が上手に使えるように、

食事や日常生活でも左手を主に使っているんだそう。
今では左手の方がむしろうまく筆が運ぶそうです。

なぜ両手を使うかというと、もし右も左も同じレベルで線が引けるならば、
左目は右筆、右目は左筆で描く方が、正確にかつ、筆の微妙な返しなどの影響もなく、
左右均一に同じ高さできれいに描けるからなんだそうです。

そのために、右手も左手も同じレベルに描けるようにしていく、
奇才というより実は理論に基づく天才の発想なんだなと思いました。

また顔を書き順については、石川さんの説明では、
鼻から下目→上目→眉毛と一筆となるイメージで筆を運ぶと習った、
いうことでしたが、なぜ鼻が一番で、下目が二番でという
お話はされていませんでした。

今さんに昔聞いた話では、人間の顔の構造を考えた時に、
動かない鼻を先に書く、上目は動くが下目は動かないから、下目を次に書く、
とそういう説明だったと記憶しています。

というわけで最後、司会に促されるようなところもありましたが、
これから質も量も、今さんを超えていく作品を世に出していくことが、
私の使命であり、今のチャレンジですと力強く決意表明されていました。

変化を恐れない、常に今を超えていく、
この今さんの考えはずっと踏襲されていくのかなと思いました。
石川さん。これからも期待したい工人さんです。