■ 対話、めんどくさくね? | 種市勝覺(たねいちしょうがく)オフィシャルブログ Powered by Ameba

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やばっ!めっっっちゃわかりやすい^^ 


絶賛!!


「シンパシー」と『エンパシー』、


「ランク・パラダイム」 と

 『フェア・パラダイム』。


※密教では【平等観】のお話になるかと✨


ーーー


以下 抜粋


日本人は「共感」というものを1種類しか知らないことが多いからだと思います。

日本人にとっての共感というのは、「私も同じ経験したことがある」というシンパシー、つまり同質性からくる共感がほとんどです。しかし対話を経た後の共感はエンパシー 、それは異質性からくる共感であり「こんなにも価値観と世界観が違う私とあなたが一つの理解を得られたという協働の喜び」です。

他者と話すときの前提が、シンパシー・ベースの共感がほしい、今の自分を承認してほしい褒めてほしいということしか求めてない人とは、基本的には対話はできない。

私とあなたは独立した、別々の世界観をもっている人間であり、私の世界観にもあなたの世界観にも必ず一理の真理がある。そんなエンパシーを基盤にしたコミュニケーションを楽しもうとする人としか、実際には対話ができないのです。

ーー


シンパシー・ベースで話す人と、エンパシー・ベースで話す人との大きな差に、社会や他者に対する世界観の違いがあるのだと思います。

1つ目は他者と自分を比較して、自分が上なのか下なのか、正しいのはどっちの主張なのかという世界観で生きる人。こういう世界観を、僕は「ランク・パラダイム」と呼ぶことにしました。世の中には「正解」があるという感覚で、自分はけっこう普通、またはその文化圏では上位のほうにいるという優越感か、下位の場所にいるという劣等感で生きる世界です。

もう1つは、他者と自分はまるで違う生き物として、まるで違う文化と世界の主人公同士が出会うという感覚で評価軸そのものが一人ずつ違うという感覚をもって人と接することができる人。こちらの世界観を「フェア・パラダイム」と呼んでいます。

(中略)

対話がめんどくさいというか、ほとんど成功しない理由は、日本で自然に生活していると、「フェア・パラダイム」を生きる経験がほぼ育たないからだと思っています。


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全文は コチラ。