昨年からかなり日にちが経ってしまいました
お久しぶり!なブログです。
私の体調が風邪を引いてから中々上がらなく、ホルモン処置をして生理を止めてるためメンタルも最悪。そして仕事仕事に追われる日々で
そんな中、函館に数日前から主人とお泊り
私達夫婦は結婚して今年で5年になるのですが、入籍当時は、どんな感染症なのかは分からないのに亡くなられる方が多く、疾患のある人や免疫力が下がってる人達が感染症に脅かされており、自粛などもあって挙式を挙げていませんでした。ましてや、動物相手の自営の私達は当時は休めなくて家(仕事)を空けられなかった。。
結婚式は幼い頃に叔母の結婚式に行った時に、とても大変な記憶がありましたので、大変な事は嫌な私は尚更極度の面倒くさがり
けれど、旭川にあった、雪の美術館(私はアナ雪と雪の結晶が大好きで、その場所がとてつもなくドンピシャな場所だったのでココだ!!という気持ちは強かった)で、ウエディングフォトはお願いしたいねと主人と話していたのですが、残念ながらその感染症の影響などで、その後閉業してしまって夢が叶うことはありませんでした
それから数年。。体外受精や疾患の悪化。何度かの入院生活で、毎日夫婦それぞれが必死でしたから、挙式やフォトウェディングを語る事すら出来てませんでした。
私自身は子供を望んでおり、疾患の影響で自分で産むということが叶えられなくなってしまってから、代理母に進みました。
私の年齢と、話が進むに連れて、私の両親が結婚式を挙げ、写真を撮った物を小学生くらいの時に見た事を最近は頻繁にふっと思い出し、とても喧嘩の多かった両親が、笑顔で微笑んでるタキシード姿の父とウエディングドレスを着た母の笑顔の姿。
両親(私からしたら祖父母)への挨拶の時も泣きながら手紙を読んでる写真も残っており(その時には私がお腹の中にいたので、色々とあったと聞いています)
まだまだ先の未来の話ではありますが、そして、その夢も可能性も分からない状態ではありますが、親族を呼んでの挙式などは無理だけれど、二人で挙式を挙げて記憶に残し、将来私達が心から望んでいる家族を迎えられた時。。。その子が成長して反抗期になった時、田舎なので必ず色々と言われてしまうからこそ、きっと根気良く告知をしなければならない事が起こるから、アナタを心から望んでいたのよ。。。と言う事を、そう言った形で伝えられたら。そんな考えになりました。(私自身がその写真を見るまでは両親が仲が悪い!と思っていたのに、その写真を見てからは気持ちが変わったので尚更)
私達の考えを子供には押し付けたりはしないつもりなので、いつかその子が偶然写真を見た時に【お母さん達は挙式を挙げてたのか!!仲良さそう。。】と思ってもらえたら。。
何よりも、夫婦二人で話し合い、スマホなどには色々と撮影した写真がありますし、結婚指輪もお互いに作りました。。
けれども、夫婦の形として教会で牧師さんに正式に誓ってないから、ちゃんと愛する主人と誓いを立て気持ちを新たに前に進む為にも思い出に残したい。
そう話し合いました。
この先の未来は誰にも分からないけれど、もし未来が光り輝く状態なら、その先からは夫婦二人ではなくて親子で家族として時を刻みたい。
私や主人がちゃんと生きていたと言う証も残したい。そんなふうに思いました。
私の疾患が悪化し、そして実は主人の健康診断(人間ドックと脳ドックを先日検査してもらったら、主人の首の血管に異常が見つかりました)で今後は気をつけていかなくてはならない状況の為、面倒くさがりな私の考えや気持ちが変わりました。
(嫌がる主人にお願いして説得して検査してもらって本当に良かったと思ってます。)
私が先に死ぬかもしれない。
けれども主人かもしれない。
互いに長生きしてるかもしれない。
【かもしれない】な人生は、絶対では無いから、温もりを感じられる今。思い出を残せる今。
ちゃんと夫婦の形を神様に誓おうと。
今年結婚して5年になる節目。
私も何だかんだと40代に突入出来ることへの感謝。
代理母で(子供はまだだけれど)ここまで紆余曲折あったのに、本当に集大成な状態であることへの感謝。
こんな思いから、函館に降り立ち、挙式の契約を行って参りました
内容的にクドいし重い感じがするかもですが、そんな事はないです
主人の誕生日だったので、デートもしました

夫婦二人、相手を悲しませないためにも、いつまでも健康で元気で長生きしなければ!