今年の春は、どうもおかしい。


花粉症じゃないのに、目が痒い。

花粉症じゃないのに、くしゃみがよく出る。

花粉症じゃないのに、鼻がつまるから、

花粉症じゃないのに、花粉症の薬を買ってきて、

花粉症じゃないのに、飲んだらよく効いた。

今年の春はやっぱりおかしい。
学生時代、友達と一軒家を借りて、3人で住んでいた。今風に言うとルームシェアってやつになるのだろうか。その一軒家の隣は神社で、鳥居から境内までの短い参道には桜の木が立っていた。

リビングとして使っていた部屋の窓を開けると、立ち並ぶ桜が見えた。窓を開けておけば、桜の花びらが、はらはらと部屋の中に舞い込んできた。

その一軒家に引っ越したのが、この時期で、その一軒家を後にしたのもこの時期だった。

桜は出会い。桜は別れ。桜は始まり。桜は終わり。桜は期待。桜は不安。桜は過去。桜は今。そして桜は未来。

どの桜も美しいから困ってしまう。
小学1年生の時、クラスのお楽しみ会で手品を披露したことがある。金属の輪に、もう一つの金属の輪を通すという簡単な手品である。片一方の輪は、一ヶ所だけ途切れた部分があり、そこが見えないように手で隠し、あたかも金属の輪を通り抜けたかのように見せる手品だった。

やって見せると、同級生たちは金属の輪よりも目を丸くして僕を見つめた。「すごーい!」「どうやってやったのー!!」と皆に褒められ有頂天になった。

「もう一回やって!!」というアンコールに、調子に乗って応えることになった。これがいけなかった。

手を滑らせ輪が教室の床に落ちた。それも運悪く、切れ目のある方の輪が…。

無情にも、教室を転がる手品のタネをみた同級生たちは、口々に「なんだー」「こんなの誰でもできるよー」「いんちきだー」と言う。

子どもとは時に残酷な生き物である。先程までの羨望の眼差しはどこ吹く風、冷ややかな眼差しを僕に浴びせた。

いたたまれなくなった僕は涙をこらえるだけで精一杯だったに違いない。

そんな中、I君が「タネがあったとしても、上手くやるのは難しいよ。やっぱり今の手品はすごかったよ。俺、もう一回見たいな。」と言った。

I君の言葉を聞いた同級生たちは、一転して、確かにそうかも知れないという雰囲気になり、「もう一回やって」とせがんできた。3回目の挑戦を無事にやり遂げた僕は、拍手喝采の中、出番を終えた。

I君の一言に僕は救われた。

今日は、そんなI君の誕生日。高校卒業以来、彼には会っていない。今はどこで何をしてるのか全く知らないが、彼の誕生日だけは毎年忘れたことはない。この日が来ると、あのお楽しみ会を思い出し、I君の勇気と優しさに感謝せずにはいられない。I君ありがとう。そして、誕生日おめでとう。

湖畔のキャンプへ行ってきた。

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キャンプは楽しい。


昨今のブームが追い風となり、キャンプサイトの多様化には眼を見張るものがある。

「キャンプ」というよりは「野営」と言った方が似合うような無骨なサイトから、お気に入りの部屋をそのまま外に持ち出したようなスタイリッシュなサイトまで、その雰囲気やギヤ選びなど、サイト作り全てにその人の個性が顔を出す。

ひと昔前のキャンプと言えば、バーベキューやカレーが定番であったが、今はダッチオーブンを使って料理自体を楽しんだり、スキレットを用いた熱々のおつまみが脇を固めたり、パーティーのようにフルーツやスイーツが並んでいたりすることさえあるから驚きだ。

時間の過ごし方も多岐にわたる。のんびりと椅子に座り、コーヒーやお酒を嗜む人もいるし、本を読んだり音楽を楽しむ人もいる。健康的に散歩をする人もいれば、贅沢にも昼寝に興じる人もいる。


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近年、さまざまな分野で多様性の重要さが叫ばれている。「文化多様化」「生物多様性」などの言葉も耳に馴染みつつある。それぞれのキャンパーの楽しみ方を目にすると、キャンプほど多様性に富んだレジャーはないのではないかと思うほどである。

「お宅訪問」などと銘打って(実際は遠目から盗み見ているだけだが)他人のサイトを訪問しては、キャンプの喜びをお裾分けして頂いている。

自分たちの知っているキャンプの楽しみは、まだほんの一部であって、その多様性こそキャンプの奥深さなのだろう。


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「はっぴいえんどマスターピース」。今更ながら入手した。

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アナログ盤は、「ハーフスピードカッティング」という特殊な技法を用いている。旋盤とマスターテープの回転速度を実際の半分にすることで、より豊富な情報を刻み込むという。

家の再生環境はオーディオマニアの足元にも及ばないが、それでも、粒立ちのよい音で聴きやすく、はっぴいえんどの素晴らしさを再認識させられる。

情報量の多さによって、当時の空気感が再現されているのであれば、見たことのない「その時」へ、束の間のタイムスリップが許される。

折しも、少しの躓きと少しの綻びが見え始めた今。ここ数年は、高速でデジタイズされた日々だった。しばらくは、ハーフスピードでアナログな生き方もいいだろう。幸せな結末のために。