パソコンのデータ整理をしていたら、何年も前に撮った動画が残っていた。この時の自分も自分で、今の自分も自分という不思議。
当時はまだ、スマホがなかったため、「ケータイ」で撮っていた。弾き語り動画です。音量ご注意ください。
小学生の時、図工の時間が終わるとパレットや筆をろくに洗いもせず、すぐに休み時間を楽しんだ。当然、次の図工の時間は、パキパキに固まった筆やパレットと格闘するところから1時間はスタートした。書写の時間についても、推して知るべしである。次回のスムーズな始まりのために、後片付けをきちんとするとよい、という高みに僕が到達するには、義務教育の9年間は短すぎた。
先日、キャンプに行ってきた。キャンプでは、片付けが次回の準備に直接結びつく。いかに綺麗に、かつ使いやすく片付けておくかは、次回を効率よくスタートさせるための必須条件である。だから、片付けが面倒などとは、露ほども思わない。遠足終了時の常套句「家に帰るまでが遠足です」と同じように、「ギアを収納するまでがキャンプです」がキャンパーのあるべき姿であろう。あの頃の少年「僕」に対して、「終わりは始まりである」という人生哲学を懇々と語ってやりたい気持ちである。
綺麗に咲いた花が散り、その種が新しい命を始めるように、終わりと始まりの関係は自然の摂理なのである。ちょうど、ゴールデンウィークも終盤を迎える。非日常が終わり、日常が始まる。その日常を充実させるために、始まりに備えた終わりにしたいと思っている。
目がかゆい。花粉の影響もあるのかと考えていたが、6年以上もコンタクトレンズを新調していないことに気がつき、新しくすることにした。
4年生くらいから視力が落ち、5年生で眼鏡くんになった。中学生になり、運動をする機会が増えたことを機に、コンタクトデビューを果たした。
当時、同級生はおろか学校中を探してもコンタクトをしている生徒は、ほんの数人で、話したこともない他のクラスの同級生が「コンタクト見せて!」と僕の目を覗き込んだ。同級生ならまだいいのだが、札付きのソレと恐れられていた3年生の先輩が、休み時間に「コンタクトのやつ、どこ?」と教室に乗り込んできた時には、ちびりそうだった。
その数日後のことである。ベランダ掃除をしていると、目に違和感を感じ、痛みに襲われた。どうやら砂埃が目に入ったらしい。耐えかねてコンタクトを外したその刹那、僕のコンタクトは風にさらわれて、ベランダ階下の花壇にひらひらと落ちて行ってしまった。
「あー!!!」と思わず叫んだ僕の声は、箒をバットがわりにして、雑巾をかっ飛ばしていた同級生たちを振り向かせるのに十分な大きさだった。コンタクトが落ちたことに気がつくと同級生たちは大変だ!大変だ!と騒ぎ出した。
花壇付近を掃除していた先輩やら同級生やらが、野次馬となりわらわらと集まってきた。僕は、ベランダから下を覗き込みながら、そんなに人が集まってきたら誰かに踏まれてしまう!!と焦っていた。
すると突然、花壇付近から「どけ!!」と大きな声が聞こえてきた。迫力満点のその声に、集まってきた野次馬たちは、蜘蛛の子を散らすが如く、さーっと引いていった。
声の主は、先日僕をちびらせた…もとい、ちびりそうにさせた札付きの先輩だった。先輩はベランダにいる僕を見上げると「この辺か?」と確かめながら、コンタクトを探してくれた。僕も急いで花壇に向かったが、結局見つからなかった。その後、その先輩とどんな言葉を交わしたのか、はたまた交わさなかったのかは思い出せない。
それからしばらくすると、その先輩を学校で見かけることがほとんどなくなってしまった。あの恐ろしくも優しかった先輩はどこで何をしているのだろう。決して会いたくはないけれど、元気でいてほしいと願う今日の昼下がりであった。
雨が止み
桜がだいぶ散ったなと思う
散った花びらに誘われて
足元を見てみると
そこにも花が咲いていた。
そうだ
しばらく上ばかりを見ていたな
青空を背景に咲き誇る桜も美しいけれど
側を通った人の起こす
ほんの少しの風にさえ揺れてしまう
名前も知らない
その花もまた美しい。
