2016/08/28 | うつしかがみ

うつしかがみ

心に映る歪


彼の事を考えてしまう。


まず彼との関係を客観的にみてみる。

彼とは付き合っていない。
彼は兄みたいな人だ。
でも私に兄は居ないから、親しいという感じだろうか。
彼とは一緒に食事ができる仲だ。でも、それ以上は無い。
彼がもし女性だったとしても、食事に誘うと思う。でも、それは私がバイセクシャルだからだろうか。


彼から見て、

私はただの後輩だ。
ただ偶然住んでいる場所や学校が同じである。
お互い恋人がおらず、リア充に批判的な点で一致している。
綾辻行人さんやあさきなどが好きな点で一致している。
同じインドア派である。
同じく家庭に問題がある。
同じく自信が低めである。


私は2016年3月16日、朝目覚めると窓が白い光に包まれていて、彼の事を支えようと思い、ベットから起き上がった。これまでに感じたことの無いような満ち足りた感覚だった。初めて明日以降のことを肯定的に考えられるようになった。もしかしたらそれは、普通の人が抱く恋愛感情と同じものなのかもしれない。でも、私は彼に対して性欲よりも安心感を抱くので、それとは違う性質の感情と考えている。

この体験のお陰で、私は明日以降のことを肯定的に考えられるようになった。それまで明日が来るのは忌々しくて、二度と目覚めなければいいのに思っていた。
また、この日から5ヶ月間「自殺したい」と思わずに生きることができた。私は今まで3日に一回「死にたい」と思う人間だった。一方で、自傷的感情が減ったために、頑張れなくなったのだが。

これらは奇跡である。そして、初めて「他人のために何かしたい」と思った。



しかし、「誰かのために何かしたい」という感情は、そのものがエゴなのだろうと思う。
私は私に価値が無い人間だと思い込ませている。だから、こんな価値の無い私が食事に誘うのは、彼にとって迷惑であると考えてしまう。でも、エゴに従って誘っている。

私は彼にとって、私も必要とされたいのだ。私にとって彼が必要であるように。
でも、それには時間がかかる。何故なら現在は彼にとって私は必要でないからだ。

だから、私が私の意志で、彼にとって必要な人間になろうとすることは、正しい事であるのかわからない。私は居ない方がいいのかもしれない。

私は私を大事にできない人間なのかな。でも私を大事にしようと思ったら、彼に会いたい気持ちを抑える事が私のためなんだろうか。

わからないから、私は会いに行く事にする。