火葬を終え、その同じに日に初七日まで済ませました。
そこで、お坊さんが、四十九日を迎えるまでの心構えを、仏教的な見地から話してくれました。

・世の中には必ず原因と結果がある。
 お米の苗を植えて、みかんが実ることはない。みかんの種を植えるからみかんがなる。
・よい行いをすれば必ず報われる。
 ただし、「桃栗三年~」というように、すぐに返ってくるものではなく、時には10年後ということもある。
 悪い行いをしているように見える人に良いことが起こるも、それ以前の過去のよい行いがあったのかもしれない。
・死んだ人は体が無くなっているので、どこにでも行ける。
 死んだ人が迷わないように、見送る人は幸せの種をまいて、天国に行けるように導いてあげなければいけない。

とてもいい話だったので、お坊さんの話に聞き入ってしまいました。
先日、おじいさんの葬儀がありました。
2週間前までは元気だったのですが、93歳の誕生日を迎え、しばらくして亡くなりました。

昨年までは現役でお米を作り、親戚に配っていました。
そして、それも昨年で米作りをやめると宣言しました。
すると、お米の収穫から数日後に、ボヤで耕作機械が焼けてしまいました。

また、今年の正月は、周囲に
「死ぬ時には1週間くらい寝込んでから寝たい。
 その間に、遠くからも会いたい人が生きているうちに会いに来てくれるから。」
と漏らしていました。(この時は元気でした)
すると、それがわずか1か月後に現実となり、入院してから10日で亡くなりました。

不思議なことは起こるものです。
運命とはこういうものでしょうか。
先日、私鉄の座席指定特急に座る機会がありました。
その座席は、2列×2列で、私は「D]席でした。
普通に考えれば、「A」と「D」が窓側で、「B」と「C」が通路側です。

私が電車に乗り込んだ際、既に私の席には他人が座っていました。
「Dの席は私なんですけど」
と言うと、その方は通路側の席を指さし、
「Dはここですよね」
と言って、窓側の席をどきません。

私が座席プレートを見るように促すと、ようやく気付いたらしく、
席を空けてくれました。

新幹線のように一列に5席あれば別として、4席であればDが窓側ということくらい、直感的にわかってほしいと思うのですが、世の中、自分の思う基準通りにいかないものです。