令和5年6月25日(日)


熊野本宮大社から紀伊田辺にある闘鶏神社

に向かう。


14:30 熊野本宮大社を出発する。

途中、熊野本宮大社近くのガソリンスタンドで給油する。約20リッター入る。

満タンで36リッター入る車。


熊野本宮大社⇒わたらせ温泉⇒国道311号線⇒中辺路町⇒田辺市⇒闘鶏神社


下道、山間部を走る。この区間は高速はない道程となる。


15:40 闘鶏神社駐車場に到着する。

駐車場は有料。


《闘鶏神社》

二の鳥居。
遠くに一の鳥居。参道左側に駐車場。
弁慶社。
御神木。大楠。
藤巖神社。境内社。
湛増と弁慶の像。
拝殿。
弁天神社。
戎大黒神社。
玉置神社。
社務所。神社会館。
つがいの鶏像。
手水舎。
御朱印。闘鶏神社。神仏霊場。
お守り。
八咫烏導き守りと招金猫守り。

闘鶏神社の創建は、419年9月に熊野権現(現在の熊野本宮大社)をこの地に勧請し、田辺の宮と称したのが始まりとされる。

白河法皇の御代(1100年頃)、熊野三所権現をこの地に勧請し、熊野三山参詣に替えるようになった。
1147年、別当湛快(たんかい)の時に新たに天照皇大神以下十一神を勧請し、新熊野権現と称した。

ようは、熊野三山まで行くのは遠く険しい道程なので、紀伊田辺の地に分霊した熊野三所権現他神々を熊野から勧請し、新熊野権現(闘鶏神社)として祀ったのが始まりという。

《闘鶏神社の御祭神》

主祭神 本殿 伊耶那美命
西殿 事解之男命 速玉之男命
上殿 天照皇大神 伊邪那岐命
   宇賀御魂命
中殿 瓊瓊杵命 火火出見命
   天乃忍穂耳命 鵜草葺不合命
下殿 火産霊命 稚産霊命
   弥都波能売命 埴山比売命
八百万殿 手力男命 八百万神

社号の由来は、源平合戦の際に源氏につくか平氏につくか思案した別当湛増(たんぞう、湛快の子、弁慶の親)が、神前で赤(平氏)と白(源氏)の鶏を合わせたところ、赤鶏が白鶏を見て、一番も闘わず逃げたので源氏に味方したと言う故事により、新熊野鶏合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)の呼称が生まれ、明治維新の神仏分離令により闘鶏神社と改称され現在に至っているようである。

さて、一巡しお参りを済ませたので、社務所で御朱印とお守りを授与してもらう。
◆八咫烏の導き守り
◆招金猫守り

16:10 闘鶏神社を出発する。
帰りは高速を利用することにした。

南紀田辺IC⇒紀勢自動車道⇒阪和自動車道⇒紀ノ川SA(休憩)⇒近畿自動車道⇒第二京阪道路⇒上鳥羽IC(京都)で高速を出る。

17:10 紀ノ川SAに到着する
休憩をとる。

18:40 最寄りのスーパーに到着する。
買い物のため立ち寄る。

19:00 自宅に戻る。