臼杵石仏公園で蓮を観賞した後で臼杵市内地を散策ーー最初に臼杵城跡ーー!

臼杵城ーー「大友宗麟」(おおともそうりん)は、「大友家」20代家督「大友義艦」(おおともよしあき)の息子として、1530年(享禄3年)府内(ふない:現在の大分市)に生まれました。家督を継いだあと、1556年(弘治2年)に、「臼杵城」(うすきじょう)を築きます。大友宗麟は、臼杵湾に浮かぶ丹生島(にうじま)が天然の要害として築城の地にふさわしいと判断。その理由は、丹生島は干潮時だけ陸続きになるため、満潮時には海を越えなければ往来することすらできないからです。攻めにくく守りやすい条件は整っていました。この城は、「丹生島城」(にうじまじょう)と呼ばれた他、島の形が亀に似ていたことから、「金亀城」(きんきじょう)、「亀城」(きじょう)など色々な名前があったのです。大友宗麟は、府内にあった館から城のある丹生島へと移り住み、城下町を整備していきますが、これが今日の「臼杵市」(うすき)の根幹となっています。城が完成すると、大友宗麟は城の周りの干潟をどんどん干拓し、城下町を作りました。臼杵湾から臼杵川へと入り組んだような現在の複雑な地形は、大友宗麟が創造した城下町がベースーー!

古橋の傍に櫓が在ったーー!

古橋から城内方向ーー!

 

 

 

城壁は凄い崖になって居ますーー!

 

 

 

 

 

 

崖の上に建つ畳櫓ーー中央に大門櫓の屋根が見えますーー右手に時鐘櫓が見えますーー!

城内への登り道は周囲を工事中で防護柵がなされて居ましたーー!

古橋を渡ると傍に亭櫓が在りましたーー!

 

 

登城路は外敵を防ぐため岩を削り取った狭い道ーー馬の鐙(あぶみー乗馬時の足乗せ器具)に似ている事から鐙坂と呼ばれて居ましたーー!

 

上から見た鐙坂ーー!

此処の通路に中門櫓が在ったのでしょうねーー!

 

 

 

畳櫓ーー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大門櫓ーー17世紀初頭に城内通行の利便を高めるために造られたーー平成12年復元されましたーー!

 

井楼櫓台の石垣ーー!

 

 

大門櫓の此方側が二の丸ーー!

向かって左側に井楼櫓(せいろうやぐら)が在りましたーー城下を一望できる重要な櫓で城内で最も規模が大きかったーー!

 

 

 

 

 

櫓跡からの展望ーー本当に城下を一望出来ますねーー!

 

 

向かって右側に会所櫓が在りましたーー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は此処迄ーー!