最後に曲石仏と大分社を巡って来ましたーー!

(曲石仏(まがりせきぶつ)は、大分市曲にある摩崖仏。「曲石仏 附 双塔(五輪塔)磨崖連碑」として、大分県の史跡に指定されている。

釈迦堂と呼ばれる、間口約2.8m、高さ約6m、奥行約7mの大きな石窟の奧壁正面に、丸彫りに近い如来座像(像高3m)が南面して安置されている。この像は、釈迦如来像と伝えられているが、損傷のため詳細は不詳であり、阿弥陀如来像、大日如来像とする説もある。頭首部、胸部、腰部、腕部、膝部の5つの部分の石材を別個に彫って、ひとつに組合わせるという、木造仏での寄木造りと同様の手法で造られている。平安時代末期の作とされる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(大分社は,JR滝尾駅の北東1.3キロメートルに鎮座する。古くは「大分大明神」と呼ばれた。祭神は大分君稚臣(おおいたのきみわかみ)と,その始祖とされる豊門別命(とよとわけのみこと)。大分君稚臣は壬申の乱(672年)で大海人皇子側について功績をあげた人物。稚臣の死後,その武勲をたたえるために当社が造られたともいう。初め六坊村(今の上野ケ丘)に鎮座したが貞観十一年(869)に下郡滝尾山神ケ迫に遷座した。鎌倉時代以降は,豊後を支配した大友氏の篤い崇敬を受け,「豊後一の宮」として尊重された。しかし中世に柞原(ゆすはら)八幡宮が一の宮とされて以降,しだいに衰微した。火災等の変遷をへて,明暦三年(1657)に現在の地に遷座し,大正十四年(1925)には郷社に列せられた。)