豊後大野市犬飼町に在る河内(こうち)橋ーー初訪問ーー片側を広げて在りましたがーー諏の有る橋でしたよーー!
河内(こうち)橋ーー犬飼町栗ケ畑ーー栗ケ畑川支流ーー橋長:6.2mーー橋幅:2.5mーー径間:4.5mーー拱矢:2.6mーー架設:1921(大正10)年ーー石工:三重野吉之重
黒松阿蘇社ーー犬飼町黒松ーー鳥居ーー豊後大野市指定有形文化財ーー!
阿蘇神社は、延文6年(1361)4月5日に阿蘇惟村が出した 「井田郷十二貫文寄進状」等の文書から、南北朝時代に創建された と考えられる。また阿蘇社の由緒書には、「社殿を創建、此時華表 一基を建つ」とあるので (「華表」とは鳥居の別名)、この鳥居も 南北朝時代の造立と推定される。しかもこの鳥居は、この時代の特 徴をよく備えており、石材は太いものを用い、柱間の広さに比して 背が低く、笠木の反り及び反り増しは、ほとんどない。また、笠木 の厚さに比して島木の厚さが薄い。柱は四角形で大きく面取りされ ている。また、柱と柱の間隔は、上部より下部がわずかに広く、い わゆる「転」は小さい。通常、石造鳥居の場合、笠木は額束の上で 継がれている場合が多いが、この鳥居の笠木は、端から端まで一石 でできている。 大分県内で最も古い紀年銘「観応2年(1351)」のある千歳村の 平尾社旧鳥居に、大きさや形が大変よく似ている。 江戸時代以降は、石の鳥居が多く造られたが、それ以前は木の鳥 居が主で石造鳥居は大変少なく貴重な鳥居である。 笠木の上までの高さは、3メートル15センチで、柱の中心から 中心までの広さ、いわゆる「真々」は下部で2メートル67センチ である。
宮脇橋ーー犬飼町黒松ーー柴北川水系黒松東川ーー橋長:2.8mーー橋幅:1.5mーー径間:1.8mーー拱矢:架設:大正15年(1926年)ーー阿蘇神社の横参道に架かって居ますーー!
道中で見掛けた秋桜畑ーー未だ奇麗に咲いてましたよーー今年最後かもねーー!