





















鶴崎盆踊りは、左衛門踊りと猿丸大夫踊りが主体です。一日目は衣装は自由二日目は和服と決まって居るのですよーー!自由衣装も面白そうですよねーー来年必ずーー!上手く撮り切れませんでしたが雰囲気だけでもーー!(8月19日撮影)
(左衛門(さえもん)の始まり
踊りの起源は450年以上前の永禄3年、ときの豊後(今の大分)の国主大友義鎮が遊興にふけり、国内の政治を省みようとしませんでした。重臣の戸次艦連が、これを諌めようとしましたが会ってもらえぬ始末。
そこで面会の機会を作ろうと京より舞子を呼び寄せ、日夜踊らせました。すると国主の気持ちもやわらぎ、やっと家臣たちの忠言が届いたのです。このときの踊りが「左衛門」の始まりと言われています。
大友義鎮とは、後のキリシタン大名で有名な大友宗麟です。そして戸次艦連とは、「千鳥」「雷切」という名刀の持ち主、立花道雪です。「千鳥」「雷切」と聞くと、あの有名な漫画を思い出しますね。
猿丸大夫(さるまるだゆう)の始まり
時代は移り、350年程前の宝永年間には「伊勢参り」が空前の大ブーム。鶴崎から伊勢神宮に参拝した人達が「伊勢踊り」を持ち帰りそれが「猿丸大夫」になったと言われています。)
踊りの起源は450年以上前の永禄3年、ときの豊後(今の大分)の国主大友義鎮が遊興にふけり、国内の政治を省みようとしませんでした。重臣の戸次艦連が、これを諌めようとしましたが会ってもらえぬ始末。
そこで面会の機会を作ろうと京より舞子を呼び寄せ、日夜踊らせました。すると国主の気持ちもやわらぎ、やっと家臣たちの忠言が届いたのです。このときの踊りが「左衛門」の始まりと言われています。
大友義鎮とは、後のキリシタン大名で有名な大友宗麟です。そして戸次艦連とは、「千鳥」「雷切」という名刀の持ち主、立花道雪です。「千鳥」「雷切」と聞くと、あの有名な漫画を思い出しますね。
猿丸大夫(さるまるだゆう)の始まり
時代は移り、350年程前の宝永年間には「伊勢参り」が空前の大ブーム。鶴崎から伊勢神宮に参拝した人達が「伊勢踊り」を持ち帰りそれが「猿丸大夫」になったと言われています。)