東京レインボープライド2019ボランティア 感じたこと・考えたこと② | スクール・ダイバーシティ

スクール・ダイバーシティ

成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

 TRPボランティア感想、考察のつづきです。けっこうな分量、いや、「読み応え」と言い換えたいと思いますが、とにかく、ブログでしかできないことでもあり、記録としての意味もあり、ということで、以下一気に。

 

 

*会場警備をしていた時、TOOTという下着メーカの近くに配置されました。そこにはガチムチ系イラストの等身大パネルがあり、TOOTの商品のみを身につけた下着一枚のマッチョな男性が接客をしていました。そばを通りがかった五、六人の部活帰りの高校生が、「キモ」「わけわかんねーなあいつ」みたいに言い合っていて、嫌な気持ちになりました。しばらく考えてみたのですが、彼らは、「自分はそちらの人間ではない」「俺たちは違う」ということを口に出して確認しあっているような雰囲気だったのではないかと。そう口にしないと不安になるような(飲み込まれるような)気分だったのではないかと思いました。

 

https://twitter.com/toot_jp

 

 こういうメンタリティは実のところ教室のあるあるだと思います。「おまえら、いっつもいっしょにいて“ホモ”なんじゃねえの?笑」「ちげえよ、んなわけねだろ!笑」みたいなノリの延長線上にあるできごとだったのかなという想像力は大切だと思います。これはたぶん「ホモソーシャリティ」の問題で、例えば前川直哉『男の絆』(筑摩2011)を読むとニュアンスが分かると思います。ぜひ。

 

 

*自分は2日間TRPに参加しました。1日目の パレードでは特に外国人のパレード参加者の人達が「HAPPYPRIDE‼」、「HAPPYPRIDE‼」と何度も叫んでいました。その言葉は、ここにいる全員が自分に誇りを持っている気がして、みんなに合わせないといけないみたいな空気感が払拭されていくような気がしました。2日目は公園内の歩道橋の警備をしていて、その近くでニューハーフの人達が来場者と一緒に写真撮影を行っていて、誰にでも優しく、時々冗談も交えながら来場者の方と接していました。どの人達もとても良い人で和やかな雰囲気でした。この2日間を通じて、1人でも多くの人にこの「東京レインボープライド」というイベントが広まれば、どんな個性も受け入れられる多様性のある社会になるのではないかと思いました。

 

 

*1日しか参加できなかったけど、参加してる人がみんな自分らしさを発揮してて、何がマイノリティなのか分からなくなるような空間ですごく新鮮でした。まだまだ自分はあんまり大きな行動が起こせなくて、来年とか、これからはもっと自分からたくさん動きたいなって思いました。

 

 

*2日間とても貴重な体験をさせて頂きました。あの場所では全ての価値観の壁が取っ払われている感じがして、性はもちろん国籍や人種といった肩書きは不要で、人としてその人がどうであるかということに向き合えました。また、色々な人が混在し自由に自分を表現している姿を見ると自分も「色々なことを我慢しなくていいんだ、あるがままでいいんだ。」とすごくポジティブな気持ちになれました。

この2日間特に強く思ったことは「分かり合えなくても、認め合えればいい。」ということです。

 これは決してネガティブな意味合いではありません。人それぞれ性や国籍、宗教、バックボーンなど色々異なっていて完全にその人に同調することはできないかもしれない、けれど、みんな違うからこそ新しい考えやカルチャーが生まれてくる、そして世界がよりよく変わっていくといった感じです。(まとまっていなくてすみません、笑)

以下のような具体的な出来事もありました。僕はグーグルのフロート担当したのですが、パレード中の音楽の選曲が良かったです。有名どころだとサイレントマジョリティやshake it off、またkemioのどこまでいっても渋谷は日本の東京など、SNS上で活躍する人の楽曲もありました。どれも少数者に手を差し伸べるような曲で、パレードにぴったりでした。特に最終曲でwe are the championsが流れ、途中で音声が止まったにも関わらず、パレードのゴールまでアカペラで合唱していたのが感動的でした。(僕も触発されて歌ってしまいました、笑)

 一方で2日目に歩道橋の整備をしていた時に、「企業が理解ある風なのやめてほしいよね、」という声が聞こえ、企業は宣伝だけではなく具体的な少数者に対するアクションが必要だと感じました。また、話をパレードに戻すのですが、パレードに参加していなくて、ただ車に乗っている人のリアクションが興味深かったです。じっと見たり、手を振ったりして関心を持つ人もいれば、視線をそらしたり、知らない振りアピールで背伸びをする人もいました。印象的だったのは、車内で窓を開けていた子どもが親に「これ何〜?」と聞いて、親が「何だろうね〜」と微妙なリアクションで返していたことです。ただ単純に分からなかったのか濁したのかわかりませんが、もっとTRPが浸透し、子どもにも堂々と「これは少数者のためのイベントだよ!」と言ってもらえるように、今後もこのイベントに関わっていきたいと強く思いました。

 

 

*僕は物販にボランティアとして参加したのですが、レインボーフラッグの特大サイズのデザインがゲイセクシャル、レズビアンetc…などと分かれていて販売していました。販売する際の注意として部門の方に言われたのが、「お買い上げの商品を確認する際に、デザイン名を言わないように(自身のセクシャリティが分かってしまい、それを好まないお客様もいるため)」というものでした。細かいところまで考えているなと感じると共に、このような姿勢が誰に対しても必要ではないかと思いました。
 僕はずっと販売していたので、他のブースをきちんと見ていないのですが、さらっと見たところ、2年前に比べ参加団体やボランティアの数、参加者の規模すべてにおいて増えているなと感じました。さらには二年前に比べ参加者にも様々な方がいらっしゃるように思い、(LGBTQの方はもちろんのことアライの方や子連れの家族など)よい兆候のように感じました。

 

 

*昨年もこのイベントにボランティアとして参加したが、その時の感覚と今回のそれは全く異なっていた。昨年は、マイノリティーがマジョリティーとなるこの空間に違和感や異質さを強く抱き、正直いうと二日間その雰囲気に溶け込むというよりは、圧倒されっぱなしだった。代々木公園が外側の世界とは分離して見えた。しかし、今回は最初から不思議なくらいスムーズに会場の空間に溶け込んでいる自分に気がついた。外側の世界から代々木公園に足を踏み入れても、何の違和感も抱かなかった。なぜ昨年と今年とでは感じ方がこれほど異なっていたのだろう。ただ単に、今年は二回目の参加で、要領がわかっているから慣れるのが早かったということだけではないと思う。昨年の参加をきっかけにスクール・ダイバーシティの一員となった私は、今回の二度目の参加までに、LGBT、人種、ヲタクなどを通して様々なマイノリティーについて学び、考えを深めていた。マイノリティーを考える空間を常に身近に感じていたのだ。これが感じ方の違いを生み出した原因ではないか。昨年は、無知のままの状態で参加したのに対して、今年は、基本的な知識はもちろん、スクール・ダイバーシティの様々な活動を通して学んだことを踏まえて参加したことで、より広く、前とは異なった視点を持ってイベントを楽しむことができた。このように、無知の状態で「なんかいつもと違う」とか「ちょっと変だな」と思ったら、そこで思考を停止してしまうのではなく、「なんでいつもと違うと思ったんだろう」とか「なんで変だと思ったんだろう」というところまで突き詰めて考えてみることが、新たな視点を取り入れて、多角的に物事を見るということにも繋がっていると感じる。より多くの人々がこのことを大切に思い、実践してみることがマイノリティーへの理解にも繋がるのではないだろうか。

 

 

*上手く理由を説明することは難しいのだが、この2日間で自身のことを好きになれた。肯定することができた、という方が正しいかもしれない。隠れてコソコソしない自分は良い!と思えたのかも。「自分」を隠さなくて良い場所って物凄い楽。逆に、普段の隠さなきゃいけない状態はとんでもなくしんどいってことを感じられた。

 

 

*年齢の縛り?というものを全く感じなかった。まずボランティアスタッフの方々は私が知る限りでは私より歳下の人はいなく、みな歳上であったがとても親しく接してくれた。国籍も色々。2日目に一緒に過ごした人は4人とも国籍が違かった。でも年齢も国籍もしばりを感じなくて気がすごく楽だった。また、そんな違いがあるからこその自分との違いや共通点を知ることが出来て勉強になった。一般参加の人の年齢・国籍も様々だった。子連れの若い人も沢山来ていた。しかし小学校低学年〜中学生くらいの人はあまりいなかったと思う。これはあくまでも推測だが、この学年はある程度までは子供のみで行動を許されているがまだ保護者が色々制限をかけている(行く場所や時間)ような気がして、もしこれが保護者が「行かせたくない」という様子供を規制しているのであれば、それはひとつの問題だと思った。高校生からは保護者からの行動の制限がゆるみ、今まで行きたかったのが行けなかったけど、やっと行けるようになった!!というイメージ。そもその小中学生にはTRPを知る機会があまりないのでは、とも思った。
 

 

*TRPに行く、またパレードに参加するのはすごいハードルが高いことなのだ、ということを感じた。実際がどうあれ、自分が性的少数者であると思われたくない人はいると思う(物凄い鈍感である、またはそのフリをするのはこのような場合にも有効だと思った)。そんな中で、ボランティアスタッフとして参加することが出来るというのはいい事だと思った。「別にあんまり興味無いけど、履歴書(受験の時に提出するやつ)に書けるから〜」みたいな感じで周囲や親に言えるからである。いい感じで「アリバイ」作ることは、活動にとって重要。

 


*同じグループの人で、私と同じ年の息子さん(性同一性障害の方らしい)がいる人がいた。とてもたくさんの話をして、自分の相談にものってもらった。あまりにも長い話になるため詳しい話は割愛するけど、その息子さんがカミングアウトしたきっかけは学校にボランティアスタッフ統括のKさん来たこと。カミングアウトされた時に1番に思ったのは「今までなんで気付くことかできなかったのだろうか。知らない内に傷付けるようなことをたくさん言ってしまっていたはずだ」というように、自身を責めるような事だったという。この話を聞いて、居場所を作ることの大切さを考えた。成蹊にもカウンセラーはあるが、やはり普段話せないことを共有できる話し相手がいるというのは大きなことだと思う。

 


*ブース出展は企業が多かった。他の人と話をしたのは、TRPというイベントに企業の宣伝をするためだけに来ている(ように思えた)企業ブースがいくつかあったということ。でも別にそれはネガティブなことだけを言いたいんじゃなくて、「マイノリティ」と呼ばれる人たちが自身の存在を世に知ってもらい、ステレオタイプ化を進める社会に対して抗議する場が宣伝に値する、つまり、TRPはそれだけの影響力のあるイベントであるということを表していると思った。
 

 

*「オレは同性愛は好きじゃないんだわ。」歩道橋で交通整理をしていた時、唐突にこう言われた。60歳くらいの男性の方だった。彼はイベントについて訪ねてきた。私はTRPについてそのまま説明したが、彼の反応は鈍かった。彼は、セクシュアルマイノリティを「そういう人」と呼んでいた。このテントは「そういう人」のイベントのものなのか?ここには「そういう人」が集まっているのか?と。私は彼の話を聞いて純粋に思った。なぜ彼は「そういう人」をひどく嫌っているのだろうか。私は、彼が言う「そういう人」はセクシュアルマイノリティだけでなく、オタクやマニアなど全般が含まれているのではないかと考えた。彼にとって自分とは異なるジャンル、よく分からないもの、人をそのように呼び、すべて排除してしまっているのではないか。TRPの空間は2回目の経験であっても異空間であったことは変わりなかった。普段マジョリティであると思っている人々がマイノリティにガラッと変わる。これはTRP独特の空間だ。これを踏まえて私は、歩道橋で出会った男性はこの普段味わったことがない雰囲気に飲み込まれることを恐れたのではないかと考えた。「この歩道橋の先のテントはすべてこのイベントのなのかい?」と彼は進行方向を指差した。「はい。右側通行でお願いします」「僕みたいな人はどちらを歩けばいいのかい?」「どちらでも構いません、イベントを楽しんでいって下さい。」このような会話の後、彼は、進んできた道を引き返していった。マジョリティはマジョリティを当たり前だと思ってしまうことは避けなければならない。マイノリティにも目を向け、彼らの世界を理解することが大切だ。マジョリティもマイノリティも互いの世界を認め、受け入れ、共生していくことが、同じ地球に暮らす、すべての人々が生きやすい社会の構築につながるのであると考えた。

 

 

*私はもともとマイノリティへの偏見はないほうだと思う(同性愛カップルを見たらびっくりはするけどそれを嫌だとか変だとかそういう風には思わない、それもいいなと思う)し、今回このボランティアに参加しようと誘ってくれた友達もマジョリティにこだわる人ではないと思う。でも、私の一部の友達(学校でも目立つ"キラキラJK"って感じの子たち、でも決して悪い子ではない)はマイノリティへの偏見があるのか、ボランティアとかに参加するのがダサいと思っているのか、このボランティアに参加すると話した時「マジで?wwなんで参加するの?ウケるんだけどwww」みたいな反応をされて悪気はないんだろうけれど少し嫌な気持ちになった。でもそこで私がそれに対して「そうやってマイノリティのイベントを小馬鹿にするような発言は良くないと思う」とか「そういう発言はマイノリティを侮辱しているも同然だ!」とか言ってマジレス?するとなんとなくしらけてしまうような気がして「うんまあなんか参加することになったww」とか言って笑ってごまかしてしまった。ボランティアに参加したいと思ったから参加するんだ!と自信を持って言えなかった。

 実際にTRPに参加してみて、ものすごく充実した2日間になった。たくさんのいろんな人たちが、それぞれ好きな格好をして好きなようにイベントを楽しんでいた。みんなが堂々としていて、みんなが素敵だった。(素敵なドレスを着て着飾っている(男の)お姉さん達がお互いに「あなた素敵よ♡」「あなたもよ♡」と言い合ってて私的にその光景がすごく微笑ましかった。)

 青山テルマさんがステージで「人ってきっと、自分と違う人を見たらすぐレッテルをつけたくなってしまう。LGBTっていう言葉も私は正直いらないって思ってます。みんな普通だから」と言っていた。

その言葉が、今でもすごく私の印象に残ってて、まさにその通りだと思った。その時思ったのが、「体の隅から隅まで全部が全部マジョリティの人なんていないのかも」と、自分に自信がないから、マイノリティという枠でLGBTの人たちや障害者の人たち(見た目でわかる、わかりやすいマイノリティ)をくくって、マイノリティに嫌なこと全部押し付けて、そうすることでやっと自分に自信が持てるのかな?(久保田先生でいう都合のいい他者的な??)とか思った。(私がボランティアに参加することを友達に自信持って言えなかったのも自分がボランティアに参加するということてマイノリティになるのが怖かったのかもしれない。)

 だからそもそも、そうやってレッテルを貼ってくくること自体間違っていて、みんな違ってみんないいんだから、みんながみんな自分の考え方や好きなことをさらけ出せて、プラスそれを馬鹿にする人もいなくて、だからみんな自分に自信を持ててっていう、そういう風になったらLGBTとかそういう言葉も必要なくなる。マジョリティ、マイノリティとかも無くなるし。青山テルマさんが言ってるのはこういうことかなと。

 TRPに参加し終えた今なら、私がボランティアに参加することを笑っていた友達に「あなたも(TRPに)行ってみたら?いろんな人がいてすっごく楽しかったよ!」って自信を持って言えます。というかもうすでに何人かに「TRPすごく楽しかったよ!来年あなたも行ってみたら?」とか言ったりしています。笑

 TRPのあの空間の雰囲気がもっと大きく世界中に広まれば、もっと自分をさらけ出せて、自分に自信を持てて、幸せになれる人(LGBTとか、障害者とか"ザ マイノリティ"の人じゃなくて、ちょっとしたマイノリティを自分の中に隠し持ってる人も)が増えるのかなと本気で思いました。

 

 

 さて、最後にもう少しだけたたみかけておきたいと思います。後日行われたdunchでのまとめ的なミーティングからです。時間が少したっていたこともあって、引きで見た、分析的な声を拾うこともできています。

 

 

*参加者のジェンダーバランス。ボランティアは昨年まで同様、女性が多い。しかし、一般参加者は男性のほうが多い。とくに、振り切れた感じで参加してるのは圧倒的に男性。気持ちよくはじけてるというか、そういうのは男性参加者。はじけないまでも、当事者であることを全面的に出して参加しているのはやはり男性に多かったという印象。女性の当事者ははっきりそうと分からない感じだったような?

 

 

*このイベントの大盛況ぶりは、セクマイが社会に受け入れられつつあることを示すの?ここは楽観的にいくべきか、さらに慎重になるべきか。現象としては、例えば「おっさんずラブ」「昨日なに食べた」も大人気だし、「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る」もある。朝ドラにもセクマイ登場(「半分青い」)。数年前とは空気がぜんぜん違うことは確か。

 

 

*受け入れられてる?のは、基本男性ゲイおもしろ&ほのぼの系。それ以外のセクマイのさまざまなバリエーション、とくにレズビアンものが一ぜんぜん般化していない。これはどういうことだろう?

 

 という感じで、考えると深みにはまりそうないろいろなテーマ、まじめに考えた人ならではの気づきだが、そこかしこにちりばめられていると思うのですが、どうでしょう。

 

 こんなこともありました。28日午前、イベント会場の片隅で本郷高校社会部のみなさんと、小さな交流会を持つことができました。本郷高校からは社会部の生徒十数名プラス顧問のM先生。わたしたちは、生徒6名と教員2名、互いの活動やそのコンセプトを共有しようというフレンドリーな時間になりました。ありがとうございます。本郷、成蹊両校で教えていて、2つのグループをつないでくれたI先生、ありがとうございました。おもしろかったです。そして、社会部顧問のM先生、ありがとうございました。社会部生徒たちは穏やかで社会に目が向いていて、ひとことで言って「ラグビー・サッカーの本郷」というイメージが変わりました。もちろんいい意味で。またよろしくお願いします。

 

 自由学園が、学校としてブースを出していたのも印象的でした。3年前からダイバーシティグループを立ち上げて活動していて、今回はじめてブースを出したということでした。刺激になります。手伝いに来てた保護者の方のひとりは、文化祭でわたしたちのトークライブを見たことがあるとのことで、励みにもなりました。いろいろやって、互いに互いのきっかけになるようなことが積み重なればと思います。

 

 

 ボランティアには高校生もずいぶんいたとのことでしたが、でも、学校として組織的にボランティアを出してるのは成蹊高校だけっぽい?ということでもありました。そういうことに誇らしさを見いだす感性は悪くないですよね。TRPが終わってすぐだったと思いますが、当事者の卒業生が、わたしたちのボランティア参加をおもしろがってくれていて、そして、誇りに思ってくれているということをメールで伝えてくれました。こういったことも、本当にうれしいし、励みになります。

 

 一方で、高校生ボランティアの多くはいろいろな理由で個人で来ている—というのも気に入っています。ひとりでハードル越えてくる感じ、ナイス。そういう生徒たちの手助けになればとも思っています。