筑波大学附属盲学校高等部3年生のみんなと交流会 | スクール・ダイバーシティ

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成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

 筑波大附属盲学校には、わたしたちの仲間のひとりが取りもってくれた縁があって、昨年度、今年度と文化祭におじゃまさせていただいたり、公開授業に参加させていただいたりしてきましたが、この間、成蹊の生徒たちからの、「同じ高校生だけど、視覚に障害を持つ高校生」への質問ペーパーが送られたり、それに対する盲学校生徒たちからの動画のレスポンスがあったりということを重ねてきました。そして今回は、その流れを継いで、盲学校の特別授業への参加、プラス、双方の生徒が準備を進め、時間と人数をかけての交流会ということになりました。まずは、お礼を。

 

 特別授業の講師で、『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎2017)のプチ鹿島さん、朝早くからありがとうございました。視覚障害者も健常者も大人も高校生も、情報を共有する限り、まったく分け隔てなく語りかけるやり方は、議論を活性化させたと思いますし、高校生たちが、いい感じで資料を深読みし始めていたのは、その結果だと思います。ナイスでした。

 

 それから、イベントを支え、わたしたちを受け入れてくださったみなさん、とくに盲学校の生徒のみなさん、ありがとうございました、楽しかったです。そして、先生方、お手数おかけしました、また何かの形で繋げていければと考えています。ありがとうございました。―というわけで、今回は、この交流会についての報告になります。

 

 午前中、というか朝は、プチ鹿島さんの特別授業、その後生徒同士の交流会が昼食の前後に行われました。

 

 特別授業について。ほとんどの成蹊の生徒たちにとって、視覚障害を持つ生徒とともに授業を受けるのは初めての経験だったと思います。こんな感想が出ています。

 

 交流会の前に、芸人のプチ鹿島さんによる特別授業が行われました。私たちは、プチ鹿島さんがいらっしゃる前に資料を読みました。その資料は、それぞれ違う新聞社の記事をまとめたもので、それを読んでそれぞれの特徴などを探すというものでした。私たち成蹊の生徒は全員同じA4の資料だったのですが、盲学校の生徒は、視力によって文字の大きさや濃さが違ったり、完全に点字だったりと多種多様でした。盲学校で教えている先生の言葉をお借りすると、盲学校では生徒一人一人に合うように資料を用意するのが当たり前で、それは手間がかかるかもしれないけど、とても大切なことなのです。一般の学校では、特定の生徒に対して特別扱いといったことがなく、みんな一緒という一貫性が当たり前になっているので、よく考えたら盲学校では当然のことだけど、驚きました。また、一人一人資料を読むスピードが違いました。特殊な機械(道具?)を使って読む子もいたり、道具なしで紙に目を近づけて読む子もいました。一人一人読み方は違うけど、授業は何の問題もなく進んでいました。そんな光景を見て、何か感動のようなものを覚えました。

 

 交流会は、予め作ってあったチーム対抗の「め打ちリレー」でスタートしました。ところで、「め打ちリレー」って?ということになると思います。盲学校の生徒にとってはおなじみのゲームらしいのですが、点字で「め」を意味する文字を制限時間を決めて打ちまくっては、次の選手に引き継ぐ、というゲームです。上の「感想」にもあるとおり、盲学校の生徒だからと言って、点字に慣れているとは限らないところがポイントです。ただ、物心ついて以来点字、という生徒のスピード感と「点」の並びの美しさにはハッとさせられます。

 つづいては、成蹊の生徒たちが用意したもので「利き茶ゲーム」。市販のペットボトルのお茶を味覚、嗅覚で当てよう、というゲームで、これは誰にとっても難しかったみたいです。で、その後は、チームを入れ替えながら、いろいろな話題を持ち寄ったおしゃべりの時間をすごしました。以下、自分とは違うやり方で世界との折り合いを付けている同年代と時を共有した生徒たちの感想や「おお」となったことなど。

 

*盲学校あるある。寮のお風呂で誰かとすれ違った時、顔が認識できないから、声かけていいのかちょっと気まずい。ただ足音でわかる場合もある。

 

*盲学校内では、スクールカーストは存在しない(らしい)。

 

*スポーツ関係で。視覚障害者用の野球は、全盲と弱視でルールが違うらしい。野球といっても、ボールは投げないで転がす。野球でなくでも卓球もネットの下から転がす。卓球のラケットは、ピンポン球の音を聞こえるようにする為、ゴムはつけていない。卓球台を強く叩いたりすると(球を転がす際)、ノイズという反則があるらしい。スポーツは、基本的に感覚。目が見えないと危なくないのか、と思うけれど、でも視覚障害者じゃなくても、スポーツは感覚なことの方が多いか。

 

*校則について。特に珍しい校則はないけど、”右側通行”は強調されるらしい。

 

*トイレの色(男は青、女は赤、ピンク)について。スクール・ダイバーシティでは、男が青色で女は赤というのは、ジェンダーのステレオタイプを作り出しているという見方をしていた。でも弱視の人にとっては、その色はトイレを見分ける為に必要なものだと気づいた。色でトイレを見分ける人も多くいる、と気づいた時、ハッとした。

 

*優先席には、座る人と座らない人がいる。白杖のあるなしで。

 

*ディズニーは、よく行くらしい。ディズニーには点字ブロックがないので、誰か家族や視覚障害のない友達に連れていってもらう。ディズニーでは、一人だとダメと言われるらしい(!)。ディズニーはそういうところでは厳しい。アトラクションは優遇される。

 

*これらは話を聞いていてのものなんですが、スマホで文字を打つときにスマホの音声を利用したり、逆に画面で文章を読むときにも音声で聞く、というのも私的には、なるほどという感じでした。ラインでも音声が出るスタンプを集めたりしていて、なるほどの連続でした。

 

*今回のように見えない人とたくさん話した経験はこれまでありませんでした。
教室内を歩いたり椅子を探して座ったりする動作を見て、中にはとてもスムーズに移動する人がいるので、すごく正確に空間を把握していることに驚きました。一方で、必ずしも全員がそうというわけではないことも、大きな学びでした。全員が全く見えていないわけではないし、いつから見えなくなったのかも人によって違う。先生は当然のように誰がどのくらい見えないのかを把握して、墨字と点字を両方配布している。もちろん、なければならない必要で、必然的なことなのだし、きっと彼らには当たり前のことなのだろうけど、そういった気配りや細やかさはとても素敵だなと感じました。

 

*ある1人の生徒に交流会後に聞いた話なんですけど、僕が障害者という言葉があまり好きではないと言ったら、その人が『障害者ってバリバリ使うけどそんなに好きな言葉じゃない。むしろ使わなくていいくらい区別のない社会になればいいと思う。』と言っていたので、確かにな、と思いました。

 

*またある人が『どんなことも人に助けを借りることができれば、やることができると思っていて、最初からやれない、と決めつけるのは嫌だ』と言っていたのを聞き、なんて強いんだって思いました。

 

*成蹊には、一応LGBTについて学ぶ授業(家庭科)はあるけれど、障害を持つ人について学ぶことはあまりなくて、大学でもしかしたら隣にいるかもしれないのにって思うと、改めて高校のうちで今回のような交流会があると私たちにとっても彼らにとっても良いことだと思う。

*彼らと交流する中で、みんな自分の無知さに恥ずかしくなったと思う。ディズニーだって私たちが行くように、彼らも行くはず。それなのに私は、行くんだって驚いてしまった。勝手に行動範囲は狭いって固定観念を作ってしまっていた。

*多分、私に限らずいわゆる健常者と呼ばれる人々が彼らに関しての固定観念をたくさん作ってしまっているのは事実だと思う。個人を考えずに、勝手に視覚障害者という枠で、物事を考えてしまっていることは多い。一人一人視力は違うし、本当に人それぞれ。そうして何気ない一言が、もしかしたら、不適切だったかもしれない。もしかしたら不快な気分にさせたかもしれない。でも後で振り返ってみて、あのときああ言えば良かったのかな、って思うことも大切で、そうやって理解を深めていけばいいんじゃないかと思った。

 

 どうでしょう、高校生たちのいつわらざる感想、「なるほど」や「おお!」の数々。知らないままで放っておいて近づかないのがファーストチョイス、ステレオタイプにばかり頼って理解したことにするのがおなじみのやり方―という世界に自分もいるということの気づき、でも、たぶん、こういう気づきが、そうではない世界に踏み出すことを後押しするのだと思います。ではまた。

 

 協力していただいたみなさん、ありがとうございました。