*以前『弟の夫』というダイバーシティなマンガを紹介したのを覚えてるでしょうか。このツイートの田亀源五郎さんはその作者です。
「ゲイが良くストレートから聞かれる馬鹿げた質問を、ストレートに聞いてみました、というビデオ」が紹介されてます。質問は例えばこんな感じ。
「男嫌いだからストレートになったの?」
「いつストレートになると決めたの?理由は?」
「どうしてストレートの人たちは、人前で手をつないだりキスしたり、ストレートであることをアピールしたがるの?それを他人が見ることを強要してない?」
「ストレートの結婚がゲイに与える影響は?」などなど。
https://twitter.com/tagagen/status/645462203156434945?s=09
https://twitter.com/tagagen/status/645463016205512706?s=09
こうしてひっくり返してみると、ストレート(と信じ込んでいる人たち)は、自分たちこそが、あたりまえを代表しているという思い込みにとりつかれていることがよくわかると思うのですが、どうでしょう。
こういったこととつながる話だと思いますが、『弟の夫』での「シャワーシーン」について、田亀さんはこんなふうに話しています。
「あれは、何というか、漫画でよくあるヒロインのシャワーシーンのようなもの。それをゲイ向けにやるとこうなるんだよというのを描いて、読んでいる人に「えっ?」って思って欲しかったんです。あれで「えっ?」って思うこと自体が極めて男性社会的なことなんだよというのを自覚してくれたら面白いかなと。」
インタビュー記事と「シャワーシーン」はここ。
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1506/05/news013.html
*「ポストイット・デイ」「ポジティブ・ポストイット・デイ」。これ、おもしろいです。facebook上でいじめを受けた女の子のささやかなカウンターは、さりげなくてポジティブなムーブメントになりました。
http://tabi-labo.com/53138/positive-post-it/
*吉祥寺にこんな店がありました。「にじいろ小町」。LGBTフレンドリーをうたったアクセサリーのセレクトショップ、ギャラリーです。テスト期間中の帰りにでも寄ってみたらいいと思います。
http://njiro-komachi.petit.cc/
*あのシリア難民のイラストとオリジナルの写真をめぐる議論が定例会でも取り上げられました。
https://t.co/BSi6yumwBN
https://twitter.com/nybct/status/650189204459266049?s=09
偽装難民が混じっているから気を付けろ、ということらしいのですが、この底意地の悪い書き換えを受け入れることはできません。仮に難民を偽装する誰かがいたとして、そうであれば、なんでそうしなければならなかったのか、ということに照準して考えていくのがスクール・ダイバーシティのスタンスだということをあらためて確認すると同時に、難民のなかに偽装難民を見つけ出して「したり顔」、みたいなスタンスを、キッパリと否定したいと思います―思いますが、でも、こんなふうに言い切って終わり、というわけにはいかないことも分かっています。わたしたちの社会には、疎外、排除したいがために、その対象を探し求めるようなグロテスクな欲望が存在することを認めざるを得ないし、それは、肥大してきていると思わざるを得ないからです。以前このブログでも取り上げましたが、ウィークネス・フォビア―弱者嫌悪がうず巻いているようにも思われます。それは、弱者も、弱者に寄りそおうとする誰かのことも嫌悪するし、そもそもそこにいるのは弱者ぶってる誰かとそれを利用する偽善者だけだと思い込もうとするのです。うんざりするような見立てですが、でも、こういった「欲望」を可視化することは大切だと思います。気づかないで流されているのでは対応を考えることもできないからです。この意味で、取り上げておきたいのが、NPO難民支援協会 「THE MISSING FINGERPRINTキャンペーン」 の一節、こんな感じです。
「『和』。“日本人”の美徳として扱われる、この言葉。行動や考え方、そして『和柄』と呼ばれる伝統的な模様にも、そのまとまりや規則性を見ることができます。美しい和の精神。ただしすべての物事は、二律背反です。秩序を好み同一性を尊ぶ”日本人”の国民性が、異分子や自由を、受け入れない方向に向かってしまったとき。「みんなと違う」を、排除する力を持ってしまったとき。それこそが、0.2%という欧米に比べて極端に低い日本の難民認定率を生む一因になってしまっているのかもしれない。そう危惧して止まないのです。難民として認められないことは、人として存在しないのと同じです。あなたには、『和』にかき消された彼らのIDが見えますか?困っている人には、利益を顧みずみんなで手をさしのべる。それこそが、真の美徳だと、私たちは信じています。」https://www.refugee.or.jp/fingerprint/
こう考えると、「欲望」を消し去ることが容易ではないこともすごくよく分かるでしょう。なにしろ、一面において美徳に結びついていくのですから。それでもやはり、要因を可視化していくことは無駄ではない、というか、本当に大切。問題解決の手立てを考え始めるポイントになるのはもちろんだけど、こんなふうに社会的、構造的な要因から疎外が生まれるとしたら、少なくとも疎外されている当の人たち自身に疎外の要因があるのではないということは前提になるからです。
―というようなことをアップしようとしていたところ、また、同じ作者の作品が投稿されました。今度もマイノリティを揶揄した感じの作品で、ターゲットは「在日」、と言っていいのか、日本国籍を取得している「帰化者」です。定例会でも話題になったのであらためて。
