連休明け、学校全体が文化祭モードになっていくなか、先週も定例会が開かれました。まずはそこから、文化祭関係の最新情報。そして、この間紹介できないままになっているダイバーシティ・ネタを。
*「誰でもトイレ」のマークを考えよう!
見てのとおり、文化祭展示「誰でもトイレ」パートの話です。「マークを―」企画については以前このブログでも取りあげたことがあるのですが(http://ameblo.jp/sksd14/entry-12056667360.html
)、このアイデアをお借りして校内でやってみようということです。ちょっと急になってしまったのは、こういう企画があるということをハッと思い出したということです。定例会では、短時間だったにもかかわらずけっこうアイデアがでました。これをやると「誰でも」っていうときの「誰」を考えるとき抜け落ちてしまうのは「誰」か、ということを意識するきっかけにもなるということがわかりました。
*難民・移民受け入れ最前線の話を聞けるかも
「ダイバーシティ地図」パートでは、日に日に大きくなるシリア難民・移民の問題を視野に入れようとしています。現在進行形のことでもあり、日本がまったくといっていいほどこの問題に絡んでいかないため、なかなか切実さを感覚できないというのが実情だと思いますが、そんななか、わたしたちの仲間のひとりが興味深い話をしてくれました。以前ホームステイしたベルリンのホストファミリーがシリア難民・移民受け入れ運動にかかわっているという話です。シリアから逃れてきた人たちの多くが目指すというドイツでの受け入れ最前線、そこでの空気を少しでもうかがい知ることができれば、それを文化祭に反映できなかったとしてもわたしたちにとって小さくないでしょう。なお、このホストファミリーはとてもダイバーシティなおうちで、以前紹介したこともあります。こちらをどうぞ。http://ameblo.jp/sksd14/entry-12003657944.html。難民・移民についてはさしあたってかこちらを。アムネスティ・インターナショナルのページです。http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/refugee_and_migrant/
少し文化祭を離れて、最近話題に上ったダイバーシティ・ネタをいくつか挙げておきたいと思います。
*「ゲームは本当に悪影響があるか」というテーマの討論について
残酷な戦闘ゲームは殺人者を育ててしまうというが、でも、恋愛ゲームの達人が、リアルな恋愛の達人になるという話は聞かない。ゲーム、本当に影響あるの???という議論です。この話自体おもしろいですが、もっと掘り下げることもできそうです。
この議論を「おもしろい」と感じる、その感性は、「恋愛ゲームに夢中になるようなのはさえないやつ」というステレオタイプ支えられているということです。この強力なステレオタイプの下では、「恋愛ゲームにはまるイケてるリア充」が目の前にいたとしてもそれは直ちに「例外化」されるでしょう。むしろ、そんな「例外」の存在はいっそう「ステレオタイプ」の方を意識させてしまうのでは。というわけで、話は、じゃあなんでそもそも「ステレオタイプ」ができてるんだろう・・・という方向や、どうしてその継続が暗黙のうちに求められているんだろう、という方向へも広がっていくと思われるのです。
*「男もつらいよ」みたいな話をどう考える?
社会的にこうあるべきとされている男性像はたしかにあって、それは男性中心主義を支えるものではあるのですが、同時にそこからこぼれ落ちる男性にとってはけっこうなプレッシャーだし、ときに深刻な疎外感をもたらしているという話です。奥田祥子『男性漂流』(講談社+α新書2015)ではそんな事例がたくさん紹介されています。こういう話にふれると、男性中心主義によって疎外されるのは、非男性だけじゃないんだなあと思うし、男らしい世界から疎外された男たちは声を上げることもままならないということもたしかにそうだと思います。そして、そこをケアしないとこんな問題につながっていくのではないでしょうか。
「“世界でゲイが一番住みやすい都市”と呼ばれているカナダ、トロントに暮らすコミュニティソーシャルワーカー」というキャシーさんのツイート。このひとのツイートは気が利いてておもしろいし、感じがいいです。で、そのキャシーさんの最近のトロント観察です。
「トロント大学に女性やフェミニズムに関わる方に対する脅迫状が届き、地下鉄には男性人権団体が社会問題をすべて女性になすりつけるポスターが貼ってあって、ヨーク大学には白人生徒サークルまで登場。今年のバックラッシュも凄いわね。」
https://twitter.com/torontogay69
(@torontogay69、9月15)
*「バックラッシュ」って?
バックラッシュとは、政治や社会の新しい流れに対する「反動」「揺り戻し」のこと。ここでいうバックラッシュは、女性とかセクシャルマイノリティなどの権利尊重という流れに対する反動のこと。ときに攻撃的で激しい誹謗・中傷となってあらわれます。マイノリティが上げる声のすべて、マイノリティに寄り添おうとする声のすべてに対するある種のいら立ちのような何かが漂っているのはたしかだと思います。ちょっと前のトピックになりますが、この本をぜひ。上野千鶴子・宮台真治他『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎2006)
*その「外国人」は「何人」?
先日の定例会ではこんな声も上がりました。このところ「外国人」に日本を評価してもらって、それをおもしろがったりありがたかったりという感じのTV企画をよく見聞きするが、そのときの「外国人」って「何人」なの?直近の番組企画からいくつかの事例も紹介されましたが、企画が扱うテーマによって暗黙のうちに「外国人」が「何人」なのか決まってくるような。その発言をありがたがるとき、その発言を上から目線でおもしろがるとき、というように。これ事例を重ねるといろいろなことが見えてきそうです。
少しテーマはずれるかもしれませんが、外国人全般に対する日本社会の意識が表れているように感じたのは、最近起きた熊谷の殺人事件に関する「ペルー人の男…」という連呼。容疑者、犯人について「日本人の…」を連呼することはありませんよね。
文化祭まで一週間になります。わたしたちもいくつかの企画実現に向けて時間に追われることになりますが、そんなときこそ、ダイバーシティな感性を、ということで、また。
http://www.unhcr.or.jp/html/index.html
