「ホームレスのプライド・男らしさ」って考えたことある? | スクール・ダイバーシティ

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成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

高校は期末テストに入っていて、だから、定例会はじめダイバーシティの活動も今週はお休みです。とはいえ、ここで紹介したいテーマや記事はたくさんあるので、定例会がない分、ダイバーシティ・ネタを厚くして更新していきたいと思います。というわけで今日は6/8の記事でふれたホームレス対策にかかわるテーマをもう少し掘り下げてみることにします。取り上げるのは、高2某クラス朝礼で配布されたホームレスについての論文を紹介するコラムで、定例会でも話題にされた文章です。以下、許可を得たうえで、ほぼ全文の引用です。


*トム・ギル「日本の都市路上に散った男らしさ」(サビーネ・フリューシュトック『日本人の「男らしさ」』(長野ひろ子監訳明石書店2013)―を読んでホームレスの「男らしさ」と「美学」について考える

このタイトル、「日本の都市路上に散った男らしさ」というタイトルは、見た瞬間に突き刺さってきて、もう読むしかなかった、というのがこの論文を読んだ理由だ。それから、同時に思い浮かんだのが、太宰治がホームレス(「浮浪者」)についておもしろいことを言っていたということで、それは、ホームレスの要件は美男子であることとタバコを吸うことだというものなんだけど、戦後すぐの太宰のこの見立ては、今のホームレスについてもかなりいけるような気がするのだ。そして、読み進めるうちにこのベンチもどきのオブジェ(画像参照)―座れない、何も置けない、横たわれない―を思い出したというわけだ。

あらためて。今日紹介するのは、ホームレスの「男らしさ」に注目した社会学の論文で、著者トム・ギルがこの太宰の作品を読んだかどうかわからないけど、このギルの議論を見ると、やはり、日本のホームレスは男ばかりで、そして、美男子かどうかはともかく、少なくとも独特の「美学」によって「男らしい男であろう」としているし、その「美学」の重要な部分を構成するのは確かにタバコなのだ。そして、「美学としてのタバコ」とは、ときに「男らしさ」そのものだったりするのだが、この感性、ピンとくるかな?

 ちょっと基本情報。これだけでもかなりの「なるほど感」です。日本の場合、狭義のホームレス(路上/公園/河川敷にいる人たち)のうち95%は男性(英米は70%くらいとのこと。それから今回のペーパーではたんにホームレスというときは男性ホームレスということでお願いします)、そして、彼らは生活保護を受給していない(からこそホームレスなんだけど…)。なんで?これはまたあとで話をするつもりだけど、彼らの「美学」「男らしさ」と絡んでいて、それは、彼らのなかに暗黙のうちに共有されている「恥のヒエラルキー」―何を恥と感じるか、という心のあり方にかかわることなのだ。

それにしても、どうして女性ホームレスは少ないのかということは当然気になるでしょう。これもじつは「男らしさ」の問題と密接だ。説明を要約するとこんな感じ。
日本では女性が住む場所を失うと行政は制度的にも感情的にも手厚くて、女性向け福祉制度が複数あったり、最前線の男性公務員たちが親切だったりというようなことがあるらしい。ということで困窮した女性たちは多くの場合、住むところを失うことはなんとか免れるらしいのだが、じゃあ、日本社会は女性を尊重しているのかというと、それはぜんぜん違っていて、男性中心主義的な社会ではそもそも女性の自立が期待されていないから、だから、あらかじめ行政的な保護が手厚いし、「保護する主体としての男-保護の対象としての女」というジェンダーイメージからも、保護の手は、まず女性に差し伸べられる、というわけだ。もっと言ってしまえば、市役所の担当のおじさんたちは、「ホームレスになってしまいそうな男」には厳しくて、「ホームレスになってしまいそうな女」には親切ということだ。これはこの論文でも指摘があるけど、想像するのもむずかしくないよね(ただ、にもかかわらず完全にセーフティネットからこぼれ落ちてしまった「最貧困女子」の問題は本当に深刻らしい。最近ようやう注目され始めたところだ。例えば、鈴木大介『最貧困女子』<幻冬舎新書2014>)。そしてそのとき職員は、「だらしない男を叱咤する一方で弱い女を保護する」という、じつに「男らしい」存在なのだ。

さて、では社会から「大酒のみ、ギャンブラー」などとみなされて、自立を促される「ギリギリの男たち」はどうするのかというと、なんといっても彼らは、泣きつくようなマネをしない(からこそホームレスなのだ)。そうするのではなく、職員が「男らしく」彼らに「自立」を促すのと同じように、彼らもまた「男らしく」その「自己責任」と呼ばれる責任を引き受けるし、ホームレスになったとしても「男らしさ」を放棄することはないようなのだ。そして、「男らしさ」は多くの場面で「自立」を意味したりするのだが、でもいったいどうやって?どんな?「彼らはそれぞれ違った方法で自立を定義し、それをどのように達成するのかにおいても独自の見解を持っている」(p177)というのだが、その「男らしさ」が分かりやすいものではないことはいうまでもないだろう―。

で、この文脈で出てくるのが例えばタバコなのだ。彼らは、それぞれ自分の物語のなかで「男らしく」あるわけだが、ほとんどの場合、その物語にはタバコが組み込まれている。そのうえで、例えば「タバコを吸う男」と「タバコの吸い殻を拾い集めて吸う男」との間には越えてはいけない一線みたいなものがあるのだ。考えたこともなかったでしょ?わたしもこの論文ではじめて知ったわけだけど、でも、日本のホームレス施設のなかには、このことをよく知っていて、それに合わせた対応をとっている場合があるのだ。そんな施設は、彼らホームレスに、タバコを支給、ないしはタバコを買うためのお金を何らかの口実で支給しているというのだ。そうしなければ彼らは吸い殻を拾い集めなければならず、それは彼らの自尊心-「男らしくありたいという気持ち」を傷つけてしまうからだ(欧米のホームレス施設ではタバコという有害物を配給すること自体論外らしい)。ただし、「タバコをもらう」ということに関してもことは簡単ではない。さっき少しふれた「恥」の問題だ。彼らには、「施しを乞うこと=恥べきこと=男らしさの放棄」という意識が強くあって、実際、そういうタイプは、日本のホームレスにはほとんどいないというのだ―たしかにどこでホームレスに見かけても何かをせがまれるようなことは一度もない。

どうだろう、彼らの「美学」「男らしさ」―自尊心に想像をめぐらせたことがあっただろうか?おじさん、そこでがんばるんだったら、その前になんとか…と思うし、いいから生活保護申請しなって、とも言いたくなるけど、でも、彼らは今、現実にホームレスなのであって、その現実のなかで、自尊心を守ろうとしているのだ。わたしは馬鹿げた「男らしさ」やマッチョな発想は大嫌いで、そういったいろいろを笑い者にしてやるような研究も考えてきたけど、それは、「男らしさ」の強迫観念のなかで深みにはまってしまった人たちを笑うためではない。例えばホームレスの彼らは「男らしさ」の犠牲者であると同時に最後のところで「男らしさ」に救われているというなんとも皮肉な存在なんだけど、その最後のところを笑うことはちょとできない。
こういったことをふまえたうえで、もう一度、冒頭の図像、新宿地下のオブジェを見てもらいたんだけど、ギリギリ自尊心の人たちに対するこのとぼけたオブジェって、どうだろう?


定例会でホームレス対策の在り方が話題に上がったのは、もともと渋谷区の「同性パートナーシップ条例」を考える過程でのことで、セクシャルマイノリティに手厚い渋谷区のホームレス排除という問題が指摘されていたのを目にしたからでした。
https://twitter.com/Rainbow_Action/status/617122673538142208?s=09
こんなふうにして気になるテーマは連鎖していきます。セクシャルマイノリティはじめジェンダーがらみのたくさんの問題、「女らしさ」も「男らしさ」もつねに要注意だし、人種、ヘイトスピーチ、障害者、オタクとスクールカースト、そして、身近で繊細なすべての疎外・差別…手を広げすぎでしょうか?自分たちのできること、分かっていることだけに絞るべきでしょうか?そうは思いません。なによりも、理不尽やアンフェアネスに違和感を持てること、気づくことが大切だと思うからです。そして、もし知識が足りなかったら勉強する、それでも人手が足りなかったら新しい仲間を見つける、その問題に関心があったり詳しかったりする仲間を見つければいいと思うからです。というか、むしろ、こんなふうにして、ダイバーシティを大切にするつながりが広がっていくのではないでしょうか。ではまた。
座れない椅子
座れない、置けない、寝転べない