駐日リトアニア共和国大使館のホームページを参照。
現在のリトアニアに人々が住み始めたのは、紀元前1万年頃のこと。
13世紀にキリスト教化を目論むドイツ騎士団に一時征服されるも、
ミンダウガスのもとに統一されリトアニア大公国が成立。
リトアニアは14世紀半ばまで独自の多神教を信奉していたため、
周囲のキリスト教国から敵視されたが、
ローマからキリスト教を受け入れることを約束し国を安泰に導いた。
ヴィータウタス大公(1392-1430年)時代は、リトアニア大公国はその領域をバルト海から黒海にまで伸ばし、
ヨーロッパ最大の国になった。
1569年以降はルブリン連合として合同しポーラン ド・リトアニア連合王国が成立。
18世紀末にポー ランド・リトアニア共和国はロシア、プロシア、オーストリアに分割されて消滅。
そしてリトアニアは、拡大するロシア帝国の餌食となってしまう。
19世紀、リトアニアと他のバルトの国の政治支配の主役はロシア。
ロシア政府は「ロシアの基本政策の復元」という命題を進めていき、
ロシア正教が導入され、キリル文字の使用が強制され、各地の地名も変更。
これに反するものは容赦なく排除。
第一次世界大戦はロシアとドイツの二大帝国に混乱をもたらし、
この国際情勢を巧みに利用し、リトアニア は1918年2月16日に独立宣言を行った。
1941年、リトアニア住民のシベリアへの大量追放が始まり、ソ連占領時代に合計約17500人が 追放。
次はナチス軍が侵入、リトアニアに居住していたユダヤ人の9割を虐殺。
1944年夏、ソ連軍はリトアニアを再び「解放する」動きを始めるが、
これはナチスを追い払いリトアニアをソ連の支配下に置くためだった。
1990年3月、 リトアニアは世界に向けて再度独立を宣言し、
ソ連邦の共和国の中で最初の独立国となる。
1991年のソ連8月クーデターの失敗後、リトアニアはソ連から完全に独立した共和国となり、
国民は50年に及ぶ苦しい支配から自由を獲得した。
ビリニュスではあちこちにウクライナの旗が掲げられ、バスの行先表示が「Vilnius♡Ukraina」となっていて、
ウクライナをサポートし、ウクライナの平和を願うリトアニアの人々の思いが伝わってくるようだった。