My Childhood, My Country | スウェーデンで働く!

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スウェーデンで働きその合間にイロイロ・・・日記。

9.11から20年。

 

アフガニスタンで生まれ育った少年のドキュメンタリー、

My Childhood, My Country: 20 Years in Afghanistan:を観た。

 

タリバンに破壊されたバーミヤンの石仏の付近で、

元気に走り回る8歳の少年、Mirの成長を追い続けたドキュメンタリー。

 

最初にソ連のアフガン侵攻以前のアフガニスタンの様子が流れ、

人々は自由な服装で笑顔が溢れている。

60年代はヒッピーの聖地として外国人観光客で賑わったなんて今では考えられない。

 

Mirとその家族は飢餓を逃れるためにバーミヤンにやって来るが、Mirの父親は、

「ここはロバも逃げ出すほど。」と言うほどで電気、ガス、水道などはなく、

厳しい気候のために不作に見舞われやすい。

家族は山の洞穴のような場所に住んでいる。

それでもMirは、「ここでの生活は楽しいよ。」と朗らかに笑っている。

 

Mirによると、2001年にアメリカが侵攻した時には、人々は「これで我々は救われる!」と喜んだと言う。

アメリカ軍の飛行機を見つけると子供たちは「アメリカが好きだ~」と叫ぶ。

 

そのうちに、Mir一家は故郷のSheikhaに戻ることが出来た。

ここでも生活は苦しく、Mirも度々学校を休んでは畑を耕したり、

成長するにつれて危険な炭鉱の仕事もしなければならなかった。

約束されたアフガニスタンの再建と復興は名ばかりで、

外国人はビン ラディンを見つけることにしか興味がないと言うMir。

このあたりから彼の顔から笑顔が消える。

学校からはどんどん遠ざかり、日々の食い扶持を稼ぐために危険な仕事をし、

父親が亡くなった後は、一家の柱として家族を支えなければならなくなった。

そしてまだ若いうちに結婚をし、子供も持った。

より良い職を求めてMazarという都市に引っ越しをするが、ここにも職はない。

Mirを撮り続ける撮影スタッフに協力を申し出たところ、

ついにカブールで報道関連のカメラマンとして職を得る。

ある日、Mirはあやうく自爆テロに巻き込まれて命を落とすところだった。

アフガニスタンの治安は著しく悪化。多くの市民が犠牲になった。

そしてコロナの影響で、職を失ってしまったMirは、

「戦争とタリバンのために、私は幸せな経験をしたことがない。」と言うが、

アフガンスタンを離れたいと考えたことはなく、

3人の子供たちに平和な未来が訪れるという希望を持ち続けている。

 

学校に通っているころ、先生になりたい、大統領になりたいとにっこりとしながら語っていたMir、

日々を生き延びるために、子供の頃からひたすら働き、いつの間にか大人になっていて、

自分の人生に夢も希望もないと感じ、それでも子供には自分より良い人生を送らせたいと強く願っている。

アフガニスタンに生まれたと言うだけで、私たちの考える子供時代とは似ても似つかない。

 

ドキュメンタリーの中で、アメリカの元大統領たちのタリバンに対する勝利宣言のようなものが聞こえてくる。

虚しくなる。国民が恐怖の中で生きることがないようになって欲しい。

アフガニスタンの国民がカオスから抜け出して、アフガニスタンに平和が訪れるのはいつになるのか。

タリバンの統治に反対するデモにタリバンが発砲するなど混乱が続いているが、

多民族国家のアフガニスタンがどんな国になっていくのか今は見守るしかないのか。