フリーターが土木業で年収1億円稼ぐ方法 -7ページ目

フリーターが土木業で年収1億円稼ぐ方法

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最初避難所は体育館ではなく


教室だった


初めて顔を合わせる人々と


気を使いながら1畳分のスペースで過ごした


教室はえらく冷えていて


7時にはもうまっくら


ストーブも片手で持てるくらいの大きさの物が1つ


皆 布団にくるまって寝ていた


明日の炊き出しの要請や


トイレの水くみの要請


学校の先生らしき人が回ってきた


皆気持ちよく志願して要望に応えていたのが印象深い


夜はトイレに行くたびに


ギィーと扉がなり


いびき


歯ぎしり


夜泣き


と正直集団では寝る事は難しかった


朝は日が昇るとともに起床した


ごはんは


おとなも子供も


おにぎり一個支給され


子供には作りたてのあったかい物


おとなは作り置きされた冷たい物


とちゃんと分けられていた


2階のベランダから海の方が眺められて


遠くで


そこにあった町が顔を出して


徐々に海水が引いて行くのを


感じていた

早いもので


震災よりもう3カ月


色々と思いだす


地震直後あわてて家路に急ぐと


渋滞 瓦が落ちている家 携帯でTVを見る人々


その夜 皮肉にも美しすぎる夜空(停電していたからか)


数日は海水が引かず家にも近付けなかった


道が整備されて家に行く途中


田んぼに 魚


歩道に  船


家の2階に 車


家に着くと だれかの車 だれかの家


愛犬が木の上で力つきていた


愛犬を助け出しお墓を作ってから


家の中を片付け始めた


出てくる色々な思い出の品


色々な魚


色々な誰かの思い出の品


遺灰 遺影


正直 遺体が出てきてもおかしくない状況で


ガレキの山を崩している時はドキドキでした


うちのじいさんはハウスの鉄骨をトラックに集め


売りに行っていた


警察も最初のころは黙認していたから


何回も売っていた


短期間ですが


仙台を離れ


広島で働く事になり


さっそく原爆ドーム行きました


原因は違えど


多くの命を失った地


という共通点で


特別な思いで向かいました


広島駅からすぐ近くにあり


びっくりしました


もう何年も前のことではあるのですが


広島の中心部なので


今では信じられないくらい


町が大きく栄えていて


杜の都仙台とはいいますが


正直広島の方が緑にあふれ


杜の都広島でした


と同時に勇気をもらいました


原爆ドームを見て


また原爆直後の写真を見て


思った共通点は


何も無いということ


そこにたしかにあったであろう


町、家、人


そのすべてが吹き飛んでいる事


その光景が宮城の光景とダブリ


思わず涙してしまいました。


原爆の悲惨さは分かってはいました


がしかし


違っていました


本当の意味で今回知ることができ


平和公園で手を合せました


もちろん長崎も


これほど大きく栄え見本となる町に


勇気をもらい


これを宮城に持ち帰りたいと思いました


この話をさっそく嫁と話し


離れていても繋がりを感じました


今日も3件となりを


解体撤去している最中に


またご遺体が発見されたみたいです…


宮城に帰ったら何かしら報告します