雨のふたり | 交心空間

交心空間

◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇

「私の……ためですか?」
 小雨がそぼ降る冬の夜、屋台のコップ酒を手に、タバコをくゆらせながら原
田が呟いた。傍らで大きくため息をついた部長の田所は、原田の肩をポンと叩
いた。
「ベンチャー企業推進プロジェクトのチーフとして、ぜひとも君の手腕をふる
ってほしいと……山崎専務自らの抜擢なんだよ」
 言い放った田所の表情も、どこか湿っぽいものを漂わせている。そして、原
田の肩に乗せた手を震わせるように強く握り締めた。
「原田くん、君はうちの部にとって大事な戦力だ。入社以来、情報システム部
に配属されて十五年、ワシが部長になってからも七年、実によくやってくれて
いる。契約先別受注実績、収支計画支援システム……数えたら切りがない」
「はい」
「ァァ、あれがいかんかったんだな。役員向けの速報システム。室部長会議で
君がプレゼンをしたまではよかったが、パソコンの設置や操作説明にまで君が
出向いたのは不味かった」
「それが私の役目だと……」
「いや。藤本課長あたりを行かせるべきだった。原田雄作ここにありと、君の
能力や誠実さ、人当たりのよさ。なんもかんも、役員連中に間近でアピールし
てしもうた」
「すいません。決してそんなつもりは」
「……宝物はポケットの中に仕舞っとくべきじゃったよ」
 原田の肩から拳を降ろした田所は、呆然と天を仰いだ。タバコを揉み消した
原田は、震える田所の拳を目尻の奥に捉えていた。
「私のことを評価していただいて、ありがたく思ってます。もっといろんな経
験をして、会社のために頑張ってくれという励ましも、よく解ります。でも部
長……」
「ん?」
「いろんな室部であれこれ経験することが、出世の道なんでしょうか? ひと
つの所にかじりついてたら駄目でしょうか?……私はシステムエンジニアです。
やり残した仕事が、まだたくさんあります。外注業者発注システムはどうなる
んですか? 設計積算システムは? 工事原価範囲の見直しは?……どうなる
んですか!」
 急に雨足が強くなり、屋台を囲んだビニールシートにポツポツと音をたてて
ぶつかりだした。
「誰かが代わってやるさ。それが組織というもんじゃないかな。平部長のワシ
には、この人事異動に抵抗する力はないよ」
 それきり田所は、腕組みをして口を真一文字に閉じていた。原田がコップ酒
を一気に飲み干して、コツンとテーブルの上に置くと、彼も無口になっていっ
た。
 栄転ながらも納得のいかない人事に揺り動かされた上司と部下の姿が、冷た
い雨を背景に屋台の蛍光灯に照らし出されていた。


                              《おわり》