【1】節分(せつぶん、せちぶん)とは?
節分は、[雑節]の一つで、本来、[各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日]のことで、節分とは『季節を分ける』ことも意味していて、年に[4回]あります。


ところが、江戸時代以降は特に立春(2月4日頃)の前日を指す場合が多く,これは昔,「冬から春になるのを1年の始まり」と考えて、 今の『大晦日』のように「明日から新しい年」というように特別な日と捉えられていたからです。
太陰太陽暦(旧暦)では、[立春に最も近い新月を元日]とし、[月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)]にした[元日(旧正月)][太陽黄経を基準(節切)]にした【立春】は、ともに新年ととらえられていましたので、[旧暦12月末日(大晦日)]と[立春前日の節分]は,ともに[年越しの日]と意識されていました。
そこで,立春の前日の節分が重要視され,現代でも節分といえば,“豆まき”“恵方巻き”を食べるこの日を指すようになったのです。
今も節分を「年越し」「年取り(数え年とは、生まれた日を1歳とし、誕生日に関係なく新年に皆が年を取る数え方)」と呼ぶ地域があるのはこの名残です。


【2】今年節分の日はいつ?
今年は2月4日(日)17時27分に太陽が[水瓶座15度]に入り,[立春](年の干支:『癸卯(ウサギ年)』の始まり)です。
立春とは、『立夏・立秋・立冬・春分・夏至・秋分・冬至…』等, 1年を24等分して表す季節“二十四節気”のうちの一つです。
二十四節気の日にちは地球と太陽の位置関係によって決まりますが、公転周期が365.24…と1年の日数とズレたりすることから、1年後の同じ日でも地球と太陽の位置も若干ズレ,二十四節気の日にちが年によって1日前後するのです。


4日(日)立春の前日の『2月3日(土)』【節分】になります。
「毎年2月3日が節分の日」と思っている人が多いと思いますが、それは間違いで、節分の日は「立春の前日」と定まっており、立春は年によって日が変化します。
ここ30年程はずっと3日ですが,実は2日になったり,4日になったりし、実際,2021年の節分は2月2日になりました。


【3】【節分われる伝統的行事】
昔から、『季節の分かれ目、特に年の分かれ目には邪気が入りやすい』と考えられており,、[様々な邪気祓い行事]が行われてきました。
[豆まき]

おなじみの[豆まき]も、新年を迎えるための[邪気祓いの行事]の一つです。
①[豆まき]とは?・
[鬼]邪気や厄の象徴とされ,形の見えない災害・病・飢饉等,[人間の想像力を越えた恐ろしい出来事]は鬼の仕業と考えられてきました。
鬼を追い払う豆は,五穀の中でも「穀霊が宿り,生命力魔除けの呪力が備わっている」といわれる大豆です。
古来,(まめ:魔滅)は病気や災い等の「魔」ぼす力があり,邪気を祓う神聖なものと見られていたので, 豆まきだけでなく,神事にもよく使われていました。
㈠語呂合わせで,「魔目(豆・まめ)鬼の目に投げつけて,鬼(=魔)を滅する「魔滅」に通じ,鬼に豆をぶつけることにより,邪気を追い払い,一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
駄洒落のようですが,日本人は古来言霊の存在を信じ,言葉霊力意味を与えてきたのです。

ことで「魔る」ことに通じるため,った大豆(=「福豆」)を使い,邪気を追い払うために,古くから豆まきの行事が執り行われています。
「鬼が出た時,毘沙門天のお告げで,豆をまいて,鬼を退治した」という逸話もあります。


②豆まきの由来
⑴古代中国では,…大晦日に追儺(ついな)』という邪気祓いの行事の木で作った弓矢を射って,鬼を追い払う行事)がありました。


平安時代[宮中行事]

これが奈良時代に日本に伝わり,平安時代[宮中行事]として取り入れられました。
『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると,706年の大晦日にこの追儺初めて行われました

(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とある)

当時,疫病による犠牲者が多数出たため,疫病を祓うための儀式が行われたことが,続日本書紀に記載されており,その儀式が追儺だったと考えられています。

その後,追儺は平安時代の宮中行事に取り入れられ,大晦日の儀式として定着することになったようです。
この儀式では,鬼を追い払う役目の役人が手下を引き連れて,「鬼やらい,鬼やらい」と唱えながら,災厄を追い払っていたようです。
疫病をもらたすとされる鬼を追い払うという主旨は,今の豆まきとほぼ同じですが,当時は豆ではなく,矢,小豆,五穀,小石等が使われていたようです。

 

室町時代「豆打ち」の行事

文献に現れる最も古い記録]は,室町時代の応永32(1425)年正月8日(節分)を記した2文書です。
㈠㊀宮中の『看聞日記』には…「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあり、

㊁室町幕府の記録『花営三代記』には「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」とあることから、

この頃既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかります。
㈡その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には…宇多天皇の時代(867-931),鞍馬山の僧正が,谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て,都を荒らすのを祈祷し,鬼の穴を封じて,三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし,災厄を逃れたとする由来伝説が記されています。

こうして,室町時代に「桃の枝」への信仰にかわって,炒った豆で鬼を追い払う「豆打ち」の行事となって行きました。

 

⑷江戸時代に「豆まき」へ

室町時代の「豆打ち」の名残が「豆まき」で,江戸時代に庶民の間に広がりました
豆を"打つ"から"まく"に変わったのは,「農民豊作気持ちを反映し,畑に豆をまく仕草を表しているからだ」といわれています。

[豆まき]になったのは、五穀の中でも収穫量も多く,鬼を追い払う時にぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説があります。


⑸近代…上記の宮中行事が庶民に採り入れられた頃から,当日の夕暮れ,柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり,寺社で豆撒きをしたりするようになりました。


節分邪気祓い行事として定着

本来は…大晦日の行事でしたが,旧暦では新年が春から始まるため,立春前日の節分に行われるようになり,節分の邪気祓い行事として定着していきました。


③豆まきの仕方
⑴[使用する豆]は…
必ず火を通して炒った大豆(豆)
芽が出る寸前の大豆生命力の象徴縁起が良いとされていますが,「旧年の厄災を負って払い捨てられるものなので,れたからるとくないことが起こる」と云われています。
・あり得ないことが起こる『煎り豆に花が咲く』という諺があるので,厄払いに用いた豆から芽が出ないようにしっかりと炒りましょう♪

※[諺の意味]衰えたものが再び息を吹き返すこと。

本当は咲くはずもないものから花が咲くという突然のありえないほどの変化のたとえ。

ちなみに大豆の花は紫か白の可愛らしい小さな花です。
・スーパーで売っている[節分用の炒り豆]でOKですが、できればお祓いを行なった豆を使いましょう♪


落花生…[北海道・東北]・[北陸・信越地方]・[南九州(鹿児島・宮崎)]の家庭で多く見られる風習です。
○落花生は、『芽が出ない』『散らばらない』『拾いやすい』『地面に落ちても実が汚れないので,拾って食べるのに抵抗がない』など様々なメリットがあります。
・[北海道~東北,信越地方]では…雪の中でも見つけやすいように,豆の代わりに殻付き落花生をまきます。

元々落花生の風習の発祥は北海道だそうです。
・鹿児島・宮崎で多く使われるのは、 「鹿児島に落花生の産地がある」からです。
㈢その他
・寺社や地域によっては,菓子,みかん等を投げる場合もあります。
・かつては,豆の他に,米,麦,かちぐり,炭等も使用されたといわれています。
⑵豆を神棚に供えてから撒く地方もあり,炒った豆を枡に入れ、[神棚]にお供えして,鬼退治のパワーアップしましょう♪
・神棚がない場合は,の方角に置きましょう♪
夜になってから,戸口や窓、ベランダなどで豆まき開始です。


○豆まきの手順
□㈠まず,「誰が豆をまくのか?」を決めましょう。
一般的には「その家庭の[家長]が鬼の仮面を被り,その他の人が豆をまく」 というようなイメージがあると思いますが,本来のやり方としては正しくはありません。
豆をまくのがその家の[家長](主人)の役割で, もしくは,「その年の干支の年女・年男,厄年の人がすると縁起が良い」と言われています。
㈡豆まきをやる時の作法
鬼を家から追い出すイメージで,「鬼は外」で,部屋から玄関の方へ豆を投げ, 「福は内」に部屋に向かって豆を投げます。
これを部屋の奥から玄関まで順番に行なっていきます。
※初期には、豆は後方に撒くこともあったと言われています。
□㈢家中の戸を開け放して,「鬼は外!福は内!」大きな声で、掛け声をかけ唱えながら、家の外と内に豆をまきます。
㊀通常の掛け声は…「鬼は外!福は内!」
・室町時代の相国寺の僧侶:瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』の文安4(1448)年12月22日の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とあります。
・【九州】では「鬼は外」ではなく『鬼はほか』というそうです。


『鬼内(鬼内)』…地域や神社(鬼を祭神または神の使いとしている神社,また,方避けの寺社)によって異なる場合があります。
ⅰ)[金峯山寺の節分会](奈良県吉野町)では…役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としています。
ⅱ)[大本教では…鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので,「鬼は内」としています。
)「鬼」の付く姓(比較的少数ですが「鬼塚」「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では,鬼を中に呼びこむために,「鬼は内」の掛け声が多いといわれています。
鳥海月山両所宮(山形市)でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから,掛け声を「鬼は外,福は内」だけでなく,「福は内,鬼も内」としています。
・大名九鬼家の領地でも,藩主に敬意を表して「鬼は内」としています。
【鬼子母神】(東京都入谷)の「鬼は外」の代わりに「悪魔外」といいます。
ⅳ)旧二本松藩領内の一部(藩主:丹羽氏)では…「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所があります。


『ごもっとも』

豆をまく後ろで,すりこ木や杓文字,すり鉢などを持ち、「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて、『ごもっとも、ごもっとも』などと相槌を打つ風習が存在します。
ほとんどは家族ごとの伝統として受け継がれていて、あまり知られていません。
北海道、長野県、石川県、福井県、京都市、長崎県などの一部で、その風習が見られ、長野県の深志神社(松本市)、石川県の重蔵神社(輪島市)・正覚院(羽咋市)、知恩院(京都市)、長崎県の興福寺(長崎市)・有川神社(南松浦郡新上五島町)などの社寺でも行われています。
この風習に関連して以下のような行事もあります。
手熊・柿泊のモットモ(長崎市)…異装の「モットモ爺」を中心とした3人組が家々を訪問し、豆まきとともに「もっともー」と叫びながら、床を激しく踏み鳴らし、杖で激しく突いて、なまはげのように子供たちを驚かせます。


⑷豆をまいたら,鬼が入ってこないようすぐに戸を閉めます


⑸豆まきが終わったら, まいた豆や落花生を自分の年齢あるいは年齢に1つ加えた数を拾って、食べましょう。
1回でその数だけ豆を握り取ることができると良いことがあるという所もあります。
1つ多く食べるのは、「新年の厄払い」の意味があり、身体が丈夫になり、風邪をひかずに、[1年間無病息災]で過ごせると言われています。
[食べる福豆の数]は…
・満年齢のまま、年の数だけ食べる
・新しい年の厄祓いなので、満年齢よりも1つ多く食べる=数え年として1つ多く食べる
・もともとが数え年と考え、新年の分を加えて2つ多く食べる
など、地方によって様々です。
※全部食べきれないという方は、梅干し、塩昆布、豆3粒を入れた「福茶」を飲む方法もあります。
炒り豆を保存しておき、初雷立春後最初の雷)が鳴ったら食べると「病気をせず健康に過ごせる」「魔除けになる」「落雷の災いから免れる」という言い伝えが各地にあります。


節分魔除け
①柊鰯(ひいらぎいわし)
⑴昔から“臭いもの”や“尖ったもの”“音の出るもの”には[魔除けや厄除けの効果]があるとして、祭事などによく用いられる風習がありました。
鬼は,[鰯]の生臭い臭いと,[柊]の痛いトゲが大の苦手とされ,焼いたイワシの臭いで鬼を遠ざけたり、尖った柊の枝で鬼の目を指すとも言われています。
節分の場合、魔は『鬼』、“臭いもの”は『鰯の頭』、“尖ったもの”は『柊の葉の棘』を指し、柊鰯によって鬼が家の中に入ってくるのを防ぐことが出来るのです。
そこで、鰯の頭を焼いて、臭いを強くしたものを[柊]の枝に刺し、それを玄関先にとりつけて、鬼(災い)が入ってこないようにする風習(おまじない)があります。
これを「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」等と呼び,西日本では,『焼嗅(やいかがし)』『やっかがし』『やいくさし』『やきさし』とも呼ばれています。


⑵ちなみにこの柊鰯の風習は実は古くからあり、平安時代に描かれた『土佐日記』や江戸時代の『浮世絵』に登場しています。


柊鰯を飾る日については、『節分の日(2月3日)から,次の日の立春(2月4日)まで』が一般的ですが、地域や家庭によって風習が異なります。
立春になり,柊鰯を外しますが、その処分方法は、『半紙に包んで塩で清めて捨てる』というのが一般的なようです。
神社が近くにあるのならば、神社に持っていくのももちろん大丈夫です。
「虫の口焼き」といって,鰯を焼く時に唾を吐きかけ,作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にあります。


②鬼ぐい
⑴[愛媛県]では…タラノキトベラ[柊]の葉と煮干しを括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習があり、「鬼バラ」という地域もあります。
⑵[山口県の瀬戸内地域]では…タラノキや山椒の枝にトベラやすすきを挿す同様の習慣があります。


③目籠
⑴[千葉県]…目籠を逆さまにして,竹竿に吊るし,鰯の頭を大豆の枝に刺したものとヒイラギ・グミの枝を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにします。
⑵[静岡県中西部]…「鬼おどし」…目籠にハナノキとビンカを結び付けて竹竿に吊るし、軒先高くに掲げて鬼を祓う習慣があります。
⑶[山梨県]…目籠とネズの枝をしばり付けた長い竹竿を庭先に立て,籠の目を鬼の目として豆を投げて、この目をたくさんつぶすと、一年の災いや不幸が減少するという信仰があり,昭和30年代まで盛んに行われていました。
⑷[岐阜県恵那地方]…割り箸に刺したイワシの頭としっぽ,柊または馬酔木の枝を目籠に挿して、玄関に置くと、鬼が玄関前で立ち止まり,籠の目を数え始めるとされています。


護符
⑴[かにかや・蟹柊・蟹柊鰯]

[長野県上伊那]…5cm角程度の紙片に「かにかや」などと書いて,家や便所・土蔵・納屋等の出入口の戸に貼りつける習慣がありました。
これを読んだ鬼は意味が分からず迷っているうちに夜が明けてしまうとされます。


[鬼めくり]…[岐阜県東部(下呂市,中津川市加子母,加茂郡東白川村)]…短冊に鬼の顔13個の点(閏年には12個)、五芒星を描いた「鬼札」を,黄楊や馬酔木の枝などと家の戸口に挿す風習があります。
鬼は,点の数と1年の月数が違う為,何度も数え直し,一筆書きの星の書き始めを探すうちに夜が明けて逃げていくと伝えられます
短冊には菓子やお金を付けることもあり,子供達がめくって持ち帰る事で,鬼が退散した事になるとされます。
子供達は友達と枚数を競い,盗られた家の人達も厄払いになると喜びます。

昔は割板に描き,それを畑にさしておくと,モグラが来ないといわれました。


[十三月]…[岐阜県美濃加茂市周辺]…「十三月」と書いて、柊鰯とともに門口に貼る習慣があります。


[角大師・豆大師]…元三大師の護符を節分に頒布する寺院があります。


[鬼面札]…[熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)]…赤鬼と青鬼をしめ縄の中に封じた鬼面札が配られ、災難除けとして門口に貼られます。


節分厄祓い
[四つ辻]…節分の夜に炒り,豆を年の数だけ紙に包み,人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて,振り返らずに家まで戻り、厄を落とす風習が各地にあります。

豆ではなく、餅、金銭、火吹竹、炮烙、ふんどし、履物などのこともあります。


[かわらけ割り]…神酒を飲んだり,息を吹きかけたりして,厄をうつした「かわらけ(土器)」を[形代とみなして砕き割る厄祓い]です。

大杉神社(茨城県稲敷市),壬生寺(京都市中京区),皇大神社(京都府福知山市),尼崎えびす神社(兵庫県尼崎市),海神社(神戸市須磨区),香積寺(愛媛県東温市),宝輪寺(長崎市)等,各地の社寺で行われています。


③[鬼豆]
「鬼の豆もらい」…香川県さぬき市志度…

子供達が袋を提げて商店をまわり、「鬼の豆下さい」と豆やお菓子をねだりに来るという風習が残っています。

幼い平賀源内が厄払いの豆まきを見て,「子供が鬼に成り代わって豆をもらえば,掃除もいらず,食べ物も粗末にならない」と言うのに,商家の人が感心して行事となったといういわれがあります。


「鬼の豆」広島県三原市

子供達が民家や店などを訪ね,「鬼の豆ちょうだい」と言って,お菓子をもらうという風習があります。


[節分お化け]

厄払いのために,普段と違う服装で,社寺参拝を行うことで,いつもと違う扮装をすれば,魔を追い払うことが出来ると信じられたことから始まったもので,単に「お化け」と呼ばれる事もあります。

一説では,当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ,それが「お化け」になったともされています。
東京の浅草,四ツ谷,京都の花街,大阪の北新地等では,芸者(舞妓,芸妓)やホステスが,通常の芸妓衣装ではない,様々な扮装をします。


[小豆]ぜんざいまんじゅう、赤飯など小豆を使った食べ物を近隣や親しい人に配って、厄落としを節分にする地域が関西に広がっています。
小豆の赤色は邪気を払い、厄を除け、福をもたらす陽の色であるとされます。
小豆を108人に食べてもらうと厄落としになると言われる所もあります。


節分参詣
[恵方詣り]…関西では,節分に恵方詣りが盛んに行われていましたが,大正末期以降「初詣」が正月行事として定着し,恵方詣りは衰退しました。


②名古屋[尾張四観音]…その内,恵方の寺に参拝に行くと,御利益が多いという風習があります。


③京都の[節分四方(よも)参り]…

[北東の吉田神社],[南西の壬生寺],[南東の八坂神社(または伏見稲荷大社)],[北西の北野天満宮]へお参りする風習があります。


大お多福面…福岡県下では,節分の時期,神社に「大お多福面」が設置され,大きな口をくぐると,商売繁盛や家内安全などの御利益があるとされています。


節分占い
豆占…[岡山、佐渡など]…豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占います。
豆を炉の灰の上に12粒並べ、右から1月2月…12月として、白くなった月は晴れ、黒く焦げたら雨、豆が転がって落ちたら風が強く吹くといわれています。


初夢…文献での初出は、『山家集』(鎌倉時代:西行著)巻上(1首目)の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」です。その題に「立春の朝よみける」とあり、この時代には暦上の新年とは無関係に節分から立春の夜に見る夢を初夢としています。


節分祭(せつぶんさい)・節分会(せち〈つ〉ぶんえ)…神社では節分祭、寺院では節分会の呼称が一般的です。
●「ごもっともさま」◎「鬼は内、福は内」○「福は内」のみ
①神社
◎鬼鎮神社(埼玉県嵐山町)… 「福は内,鬼は内,悪魔外」
三峯神社(埼玉県秩父市)…『ごもっとも神事』…「福は内」と豆をまく後ろで、先にしめ縄を巻き、根元にみかん2個を下げた巨大な棒を「ごもっともさま」と叫んで突き出し、五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿・子授けを願います。
五條天神社(台東区)…[うけらの神事]

大儺の儀式が催行されます。
稲荷鬼王神社(新宿区)…「福は内,鬼は内」
大國魂神社(府中市)…境内に相撲場があり、八朔相撲祭りも行われる事から、力士が豆をまきます。
・箱根神社(神奈川県箱根町)…厚化粧の少女の巫女たちが水上スキーの鬼に豆をまきます。
浜松八幡宮(浜松市中区)…2日の夕刻に追儺式を行い、3日には豆まきを行います。
海山道神社(三重県四日市市)…[狐の嫁入り神事]。

狐の新郎新婦と仲人、親族らの行列が、鬼の先導で境内を練り歩いて結婚式を挙げ、祝儀袋に入った福餅や福豆をまきます。
日吉大社(滋賀県大津市)…破魔矢を射る「放射の儀」
吉田神社(京都市左京区)…室町時代から続く伝統行事であり、古式に則った[追儺式]が行われます。
須賀神社(京都市左京区)…和歌で書かれた懸想文(けそうぶみ)を売る、烏帽子、水干に覆面姿の「懸想文売り」が現れます。懸想文を鏡台や箪笥に忍ばせておくと、美しくなり、着物が増え、良縁に恵まれると伝えられます。
五條天神社(京都市下京区)…日本最古で船に稲穂を一束乗せただけの簡素な図案の「宝船図」が授与され、厄除け・病除けのご利益があるとされます。
・八坂神社(京都市東山区)…[舞妓の豆撒き]
◎大原神社(京都府福知山市)…「鬼は内、福は外」
・長田神社(神戸市長田区)…七匹の鬼が,松明で種々の災を焼き尽くし太刀で不吉を切り捨て、踊ります。
春日大社(奈良市)…節分万燈籠。

神前での舞楽奉納後、境内にある約3000基の燈籠すべてに火が灯されます。
大和神社(奈良県天理市)…節分祭・鬼やらい式。

赤鬼、青鬼を矛を持った天狗が追い払います。
◎天河神社(奈良県吉野郡天川村)…鬼の宿・節分祭。

鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため,前日に「鬼の宿」という[鬼迎えの神事]を行い,節分祭では「鬼は内,福は内」と豆をまきます。
・吉備津神社(岡山市)…豆まきの後,焚き火を囲んで,ほら吹き大会-[ほら吹き神事]
須佐神社(島根県出雲市)…[蘇民将来]の説話にちなんで,茅の輪くぐりや神楽の奉納があります。
防府天満宮(山口県防府市)…神くじにより御神幸祭の神牛役を定めるという[牛替神事]。


②寺院
中尊寺(岩手県平泉町)…相撲力士を迎え,厄男厄女による厄払い招福を祈ります。
長泉寺(宮城県角田市)…節分会

福男が福豆を撒いた後、年男が「ごもっとも」と叫んで、豆を拾おうとする人の股間にすりこ木を押し当て、厄落とし、五穀豊穣、子孫繁栄を願います。
鑁阿寺(栃木県足利市)…節分鎧年越。

坂東武者に扮した市民など約200人が練り歩き、国宝の本堂に一同が集結して追儺式を行います。
龍光寺(群馬県富岡市)…園児が厚化粧,裃を着て登場(稚児行列)
・總願寺(埼玉県加須市)…大たいまつの赤鬼、力士、稚児行列
○成田山新勝寺(千葉県成田市)…「不動明王の前には鬼はいない」とされるため、「福は内」のみ。相撲力士と、その年のNHK大河ドラマの主演を含む出演者がそれぞれ5名前後参加するのが恒例となっています。
報恩寺(千葉県長南町) …「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
○●浅草寺(台東区)…「浅草観音の前には鬼はいない」とされるため『千秋万歳(せんしゅうばんぜい),福は内』と唱えます。

大きな杓文字をあおぐ『ごもっともさん』という役が鬼とともに登場します。浅草に縁のある落語家・演歌歌手などが参加します。
池上本門寺(大田区)…境内に[鬼子母神]を祀るので「福は内」のみ。力道山の墓所があるため、格闘技関係者(プロレスラー・プロボクサー)などが出仕します。
高幡不動尊(日野市)…「不動明王の前には鬼はいない」とされるため、「福は内」のみ。
高尾山薬王院(八王子市)…「高尾山内や薬師如来の前には鬼はいない」とされるため、「福は内」のみ。
川崎大師(川崎市川崎区)…「不動明王や薬師如来の前には鬼はいない」とされるため、「福は内」のみ。
・最乗寺(神奈川県南足柄市)…舞妓の豆撒き
・成田山福井別院(福井県坂井市)…舞妓の豆撒き
・宝光院(左目不動)(岐阜県大垣市)…節分会はだか祭り
大須観音(名古屋市中区) …鬼の面を寺宝としているため、「福は内」のみ。
廬山寺(京都市上京区)…追儺式鬼法楽(ついなしきおにほうらく)

三色の鬼が舞い踊ります。
壬生寺(京都市中京区)…[壬生狂言]が行われます。
あびこ観音(大阪市住吉区)…節分厄除大法会。

護摩焚きによる厄払いが主で、豆まきは行われません。

門前で厄除け饅頭をお土産に買って、親しい人に食べてもらい、厄落としをします。
東大寺(奈良市) - 節分万灯明・星祭。

日中,古くなったお札やお守り等を火にあげる儀式「還宮(げんぐう)」と二月堂の舞台の上から「節分豆まき」が行われます。
星に「除災与楽」を祈る法会「星祭り」は、二月堂本堂に万灯明を灯し、「星曼荼羅」を掲げて勤められます。
元興寺(奈良市)…節分会柴燈大護摩供。

山伏が弓矢と剣で魔を祓い、不動明王を勧進した大護摩を焚いて、山伏と一般参列者が火渡り行をします。

八雷神元興神鬼の発祥地であるので、「福は内、鬼は内」と豆まきをします。
興福寺(奈良市)…追儺会・鬼追い式

松明をかざして暴れまわる3匹の鬼が、毘沙門天によって退治された後、大黒天が打出の小槌で参拝者に福を授けます。

年男による福豆まきが行われます。
法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)…追儺会。西円堂の周囲を回りながら松明を投げる鬼3匹を毘沙門天が退治。

鬼の魔性を調伏します。
安倍文殊院(奈良県桜井市)…節分銭ぶつけ厄払い大法要。

恵方に当たる方位守護仏に年齢と同数の一円玉を投げ、厄除けをします。
・信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)…節分鬼追式。鬼が松明や金棒を持ち、本堂から僧侶や年男に追われ、逃げ回ります。鬼は寺内だけにおさまらず、里の家にも押しかけます。
金峯山寺蔵王堂奈良県吉野郡吉野町節分会・鬼火の祭典。

「福は内、鬼も内」と唱え,全国から追われてきた鬼を迎え入れ,経典の功徳や法力と豆まきによって、鬼たちを仏道に導きます。
石手寺(愛媛県松山市)…鬼に豆をぶつけるのではなく、鬼が参拝者を「ささら」と呼ばれる竹の棒で叩き、厄を落として福をもたらします。
③その他
鬼恋節分祭(群馬県藤岡市)…鬼呼び豆まき。 「福は内、鬼は内」。合併で消滅した鬼石町の名にちなみます。
鬼岩福鬼まつり(岐阜県御嵩町)…「鬼は内」
※上記の文章はwikiを参照して、加筆しています。