親愛なる皆様方へ
こんにちは。
島根県出雲市斐川町在住のレイキ・マスター、スクマールです。
ご訪問、ありがとうございます。
今回はこちらの記事↓の続きです。
「林先生は軍医ではなかったとしても、普通の医師・医者だったのでは?」と思われる方もおられるかと思いますので、続編を書くことにしました。
下記ホームページの記事には、
『(なお、『日本医籍録』を調べたところ、信濃町に「ハヤシ・クリニック」という病院はありませんでした。医師法に基づく治療所ではなかったようです)』と書かれています。
日本医籍録というのは、医師・医者の名簿です。
人間ですから見落としという可能性もあると考えて、私も「林忠次郎」という名前がこの書籍にあるのかどうか、過去に時間をを置いて何度か調べました。
記載漏れという可能性もあるので、版違いも加えて調べてみましたが、林先生の名前は見つかりませんでした。
また下記ホームページの記事によりますと、
ハワイへ霊気療法の講習会に出向かれた際の
医者、医師とは書かれていないということです。
林先生に伝授を受けた松居松翁先生は、雑誌「サンデー毎日」↓等で臼井霊気療法を積極的に紹介したたため、学会から強く叱責を受けましたが、
もし、林先生が軍医や医師・医者であったのなら、そのことについて語った方が宣伝になると思うのですが、この記事の中でも林先生の職業については「海軍大佐」としか書かれていません。
ここまでは他の方の記事の紹介でしたが、次は最近わたしが見つけた林先生が紹介されている資料について、お伝えいたします。
ただし、当分情報ソースを明示いたしませんので、ご容赦ください。
(なぜソースを記載しないのかは、いずれ書きます。)
その資料は2つ(タイトルは違います)あるのですが、どちらも先生が臼井霊気療法学会を退会し、林霊気研究会を立ち上げられてからのものです。
発行年が違いますので、先に発行されたものをA、後のものをBとします。
Aのものが文章が長くて(といっても三分の一から半ページ程度)、BはAの文章を短くしたようなものですが、林先生のお写真が掲載されていました。
内容にはわたしも初耳の興味深い話がいくつか含まれており、林先生直接か、林霊気研究会関係者に取材しないとわからないようなことも含まれています。
もちろん、A、Bが発行される以前に、ひょっとして林先生あるいは林霊気研究会関係者に取材して作成された記事(新聞、雑誌、本等)があり、A、Bはただそれを参考にして書いているだけという可能性もあります。
Aは林先生の娘さんについての記述に誤りがあり、Bは息子さんについての記述に誤りが見受けられますので、どちらも若干正確性には欠けますが、AにもBにも林先生は林靈氣研究会長、予備海軍大佐とは記載されておりますが、軍医や医者、医師だったとの記載はありませんでした。
さて、ここまで書いていてふと思い出しました。
昔の臼井霊気療法学会の会員名簿には、会員さんの職業が記載されていることを!!(すべての会員さんの職業が記載せれているわけではありません)。
もし、職業欄に軍医や医師・医者と書かれていたのなら、(昔あった)ホームページやメーリングリストでその旨伝えていたと思うので、そんな記憶がないということは記載されていなかったと思うのですが、名簿を見たのはかなり昔の話ですから記憶に自信がありませんので、早速確認してみました。
結果は「海軍大佐」としか記載されていませんでした。
以上のことからも、今の時点では、林先生軍医あるいは医師・医者説をわたしは支持しません。
前回も書きましたが、これを覆すのは、林先生の肩書に海軍軍医、医師・医者の記載がある公的資料だけだと思います。
もし、そのような資料をご存じの方がいらっしゃいましたら、どうかご教示ください。よろしくお願いいたします。
m(__)m
続きはこちら↓です。
With Reiki Love,
スクマール
スクマール
追伸:
A、Bの資料ともに、林忠次郎先生の生まれ年は「明治13年」と記載されています。
つまり西暦だと1880年なのですが、ネット検索すると1879年生まれと記載してあるものが圧倒的に多いですね。
さて、どっちが正しいのでしょうか?