甲州街道上野原宿原集落の供養塔     2026-7-11       投稿

     古い記録で申し訳ございません、江戸からの甲州街道歩き旅してたおり、

 2019年3月上野原宿、原集落にある供養塔のに彫られている文字が読めず、

甲州街道の上野原宿周辺の投稿記事を調べても該当する記事には辿り着きませんでした。

3月19日は上野原駅からの甲州街道と旧甲州街道の合流からスタート。国道20号と県道33号の分離信号の手前の歩道橋の脇の狭い道路が旧甲州街道

   矢印の旧甲州街道に入って50m右側の民家の庭に

 原集落の木喰白道上人加持井水の井戸と記念碑

100mほど西に進んだ十字路の左側角」に「大乗妙典日本廻国」供養塔、右側角に供養塔、※「原のこの場所はかつて罪人の仕置きを行った「お仕置き場」があって、

これを供養するためにここに供養塔が建てられたといわれています」 sd64e04692056d47a.jimcontent.comより抜粋 

ここまで来ても彫られた文字に関して情報はない。

 大乗妙典廻国供養塔に向かう合うように小田切技電さまの角に供養塔。

  供養塔に彫られている文字が読めず、篆書体ではないかと調べても該当文字はない。2026年4月に上野原市教育委員会、社会教育課に電話して教えを乞う。

 役所の回答は「中国古文字で中央はシャロウと読み、左側の読み取れる文字は日本漢字のロウシャ(籠舎)、右側は文政十年と読み取れます。仕置きされた罪人のお仕置場の跡に建立された供養塔と云われています、大乗妙典廻国供養塔と供養塔(舎籠)は文政10年に同時に建立されたようです」。

疑問を感じてから8年ほどの歳月でようやく納得のいく回答に辿り着きました。

上野原市教育委員会には感謝いたします。

中国語と日本語では語順が前後し中国では舎籠、日本では籠舎となり、

現在、籠舎と呼ばず牢屋に変っているそうです。

 

  参考資料

人文学オープンデータ共同利用センター 「篆書字体検索」

  sd64e04692056d47a.jimcontent.com

上野原市エリヤ甲州街道フットパスガイド