四国八十八ヶ所自転車遍路 阿波徳島NO2 2015-4/1~4/02
自転車遍路3日目 4/01 第12番焼山寺から19番立江寺 曇のち晴
自転車遍路4日目 4/02 第20番鶴林寺からだい23番薬王寺 曇のち小雨
4/01 遍路3日目 神山町民宿明日香を6:00出発、国道438号から右折県道43号線入り鮎喰川を渡り坂道になり、宿から5㎞ほど走った所で軽トラックに拾われ、焼山寺山門前までお接待を受ける。
第12番焼山寺、方丈脇に自転車を止め納径所過ぎ階段を登る。境内に入ると宿坊があり、ここまで送ってくれた軽トラックは寺に用事があったのか?。
焼山寺本堂前には合羽を着た先人、時間は7時前、荷物が少ない所を見ると鍋岩地区の民宿からのお遍路さん、早朝6時前に宿を出たのか。
遍路巡りの2015年当時、納径時間は7時から、現在は8時からに変更されている。
約70段の石段を登て仁王門、建立年不明、銅板葺入母屋造、三間一戸八脚門
12番焼山寺、本堂、銅板葺入母屋造向拝付、大師堂2008年再建、銅板葺入母屋造向拝付、大黒天堂、銅板葺入母屋造唐破風付。
伽藍は方丈に渡り廊下で手前から三国大国天、本堂、太子堂と続く。
焼山寺境内から山門を撮る、
焼山寺境内からの雲海を下に見る風景。
焼山寺7:20分出発。
県道43号線から国道438号県道21号線で第13番大日寺に向かう、
鮎食川沿いに第13番大日寺。 距離28.0㎞、AV 14km/h 9時45分着。
第13番 大日寺山門、 9:46着、建立年不明、山門は医薬門、瓦葺切妻造り
正面奥に観音像、 突当りに本坊、手前左に本堂、向いに大師堂
明治維新の神仏分離令により一宮神社から大日寺に変名。(ウイキペディア)
一宮神社は県道21号線大日寺医薬門と対峙している。
山門を入ると正面にしあわせ観音像
大日寺本堂、明治末期に再建される。入母屋造り唐破風。
大日寺大師堂 宝形造り向拝、明治末期に再建される。
第14番 常楽寺 石柱門 10:26着 山門がない。
常楽寺本堂 江戸時代建立 瓦葺入母屋造向拝付、国の登録有形文化財
常楽寺大師堂 江戸建立、宝形棟の向拝付、二連の鬼瓦。 国の登録有形文化財
境内は流水岩の庭、1818年移転の際、山を削りお堂を建立、岩盤が剥き出しになっていて風景を醸している。
「天正の兵火に遭い焼失、1659年現在地より下がった谷間に再興、1818年現在地に移転、それが現在の常楽寺です。」
第15番 国分寺 薬医門建立年不明、 切妻造三間三戸は珍しい。 10:52着
第15番国分寺本堂 重層の入母屋造唐破風向拝付、入口が妻入りも(大社系)珍しい。
1800年前半に再建される。国の登録有形文化財。本堂(瑠璃殿)左側が国分寺庭園
第15番 国分寺大師堂 宝形造り向拝、 2014年再建される。
左側の石碑の奥に旧太子堂。
「天正の兵火に遭い焼失、1741年藩名により伽藍が再建される。
15番国分寺 阿波国分寺庭園 国の名勝に指定 瑠璃殿(本堂)と築山式枯山水庭園。
画像はからのwikimediaからの画像
第16番 観音寺鐘楼門 建立年不明、 和様重層瓦葺三間一戸 11:32着
梵鐘は戦時中に供出されままだそうです。
16番 観音寺本堂 平成時代建立 瓦葺入母屋造向拝付。
16番 観音寺大師堂 建立時代不明、瓦葺 宝形造向拝付。
扁額は中央に弘法大師、右側に弘法の二額が掲げられている。
「天正の兵火に遭い焼失、1659年に再興。」
第17番井戸寺仁王門 建立年不明 瓦葺切妻造 三間一戸 八脚門
徳島藩主蜂須賀氏の大谷捌邸より移築 12:05着
井戸寺本堂 昭和43年焼失、3年後1971年にコンクリート造りで再建
17番左、井戸寺光明殿、右、井戸寺大師堂、江戸時代末期建立、瓦葺宝形造。
井戸寺「天正の兵火に遭い焼失、1660年代に再興、1968年三度火災で焼失、
その後の再建。
第18番 恩山寺駐車場からの画像 14:28着
18番恩山寺本堂 階段上がって突当り、1800年初期建立 銅板葺、寄棟造
18番恩山寺大師堂、右側、弘法大師の御母公堂、両堂共1800年初期建立。
18番恩山寺仁王門は恩山寺境内から約300m位離れた所にあり、通り越してしまう。
「天正の兵火に遭い焼失、 1659年頃に再建、1898年に落雷で焼失、その後再建。」
第19番立江寺仁王門 瓦葺入母屋造楼門 建立年不明 15:30着
19番立江寺本堂1974年焼失 1977年再建、胴板葺入母屋造、千鳥破風、唐破風向拝付
19番立江寺大師堂、建立年不明、瓦葺、宝形造向拝付。
立江寺「天正の兵火に遭い焼失、江戸時代、徳島藩主・蜂須賀家政(1558~1639)が現在地に再興」 後の1974年本堂が焼失、1977年再建。
12番焼山寺以外19番までは高低差が少なく、風景は川沿いから田園地帯に変る。
15:35分出 立江寺から650m、3日目の宿泊「鮒の里」に到着15:40分着。
外観は和洋折衷、リビングは山小屋風、囲炉裏があり宿泊客は、囲炉裏を囲み食事、宿の主人はこだわりの塊に見えた。
宿の後は立江川、湯舟で水の流れを聞きながら疲れを癒す。
夕食前に縁台に座り煙草を一服、道路を挟んで石仏群のお不動様が自分に何か語り掛けているようで何故か気になる。その時浮かんだ句「桜舞い 地蔵見つめる 鮒の里」
走行距離 50.73km AV15.7km
「国分寺の云われ、 741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院、四国には第15番阿波国分寺、第29番第土佐国分寺、第59番伊予国分寺、第80番讃岐国分寺の四カ寺」wikipediaより抜粋
4/02 遍路4日目 晴のち雨
20番鶴林寺 宿を5時に出て2時間ほど進んで途中で軽トラックに拾われる、助手席には歩き遍路、荷台には有明港からの自転車遍路の人、荷台に自転車を乗せ3名が乗込む。鶴峠から鶴林寺仁王門迄載せて頂く、車を降りる時これまで2度失敗しているお礼に納札を渡すことが出来た。軽トラは仁王門の脇を通り鶴林寺伽藍へと向かった、お寺に用事があった様だ。頂いた名刺には(有)野崎電気の野崎氏、その説はありがとうございます。
第20番 鶴林寺 04/02 7:49着 高低差460m
仁王門1909年建立 銅板葺入母屋造、三間一戸八脚門、これまでの山門に比べると屋根の大きさが目立ちすぎ、仁王像は運慶作と云われている。
20番鶴林寺階段途中の左側の建物、護摩堂、隣が大師堂、納径所と続いています。
20番鶴林寺本堂、1604年建立、入母屋造銅板葺向拝付、両側に鶴の3m程の銅像。
鶴林寺大師堂、1913年建立、銅板葺入母屋造、軒唐破風。
鶴林寺の山裾より約4㎞の参道、1998年国史跡に指定される。
4/02 10:20 太龍寺ロープウエイ、この景色を見たくて片道の予定が往復切符を購入。
全長2577m 最大高低差484m。
21番 太龍寺 9:16 ロープウエイを降りると目に前が長い階段
21番太龍寺鐘楼門入母屋造銅板葺三間一戸楼門
21番太龍寺本堂 1852年建立、銅板葺入母屋造破風付、国登録有形文化財。
21番太龍寺大師堂 1877年建立 銅板葺入母屋造千鳥破風に軒唐破風付。
21番太龍寺には伽藍手330mほど手前に江戸時代後期(1806年)に建造された仁王門(国登録有形文化財)があり太龍寺建造物では最古になる。
太龍寺仁王門、本堂、大師堂、護摩堂、多宝塔、六角経堂など多くの建物が、国有形登録文化財に指定されている。
太龍寺ロープウェイを降りてサドルバックに水筒がないのに気づく。
お世話になった民宿 鯉の里に電話を入れると「縁台に忘れていたと云われ」、お手数ですが宅配で送ってくれるようにお願いする。これが大きな間違いであったと後に気付くことなる。前日の宿の夕食前に気になったお不動様が今日のお告げのようだ。
第22番 平等寺 11:18着 山裾のお寺
平等寺仁王門 1932年建立 瓦葺入母屋造、三間一戸楼門
22番平等寺本堂の参道と42段の階段と本堂1737年建立、瓦葺入母屋造錣屋根向拝付
22番平等寺大師堂、1824年建立、瓦葺宝形造向拝付
22番平等寺本堂への石段は山門前13段、男厄坂42段、少し外れた左側に女厄坂33段があるそうです。 平等寺も「天正の兵火に遭い焼失、後に再建したそうです」
平等寺-20㎞-薬王寺
第23番薬王寺 14:23着 1835年建立、瓦葺入母屋造、三間一戸八脚門仁王門
2012年解体修理が行られたそうです。
本堂までは仁王門から男厄坂42番 女厄坂33段の石段がある。
23番医王寺本堂 1908年建立、銅板葺入母屋造
23番大師堂、1820年建立、瓦葺宝形造向拝付
23番薬医堂境内には地蔵堂、十王堂、肺大師、寿老人、鎮守堂、礼拝堂、本坊など
多くの伽藍があります。
今日の巡拝の各寺は大半が階段が付き物になっている。
23番薬王寺が阿波徳島の最後の札所になります15時20分打上、薬王寺を打ち上げてから雨が降りだした。
薬王寺から650m日和佐駅傍のBHケアンズに宿を決める
3/30 1日目 第1番から3番から迄、走行距離30㎞ 宿泊先 民宿 森本屋
3/31 2日目 第4番から11番まで 走行距離61.21㎞ AV14.4㎞ 民宿 明日香
4/01 3日目 第12番から23番まで 走行距離72.8㎞ AV15.6km 民宿 鮒の里
徳島県走行距離合計164㎞
4/02 4日目の道程は日和佐駅BHホテルケアンズから高知県堺まで35㎞、第24番最御崎寺まで77㎞になります。
弘法大師(空海)諡号(おくりな)は空海死後約100年後の912年醍醐天皇から授かる。
多くの大師堂の扁額は「弘法」になっている。
四国遍路通打ち土佐高知に続く
建築年の建立年不明とあるが銅の圧延工法が確立したのが江戸末期から明治初期と
書かれて要るので、銅板葺き屋根は江戸末期から明治初期と考えられる。
2025-11/12投稿 2015年の画像と文章で現在と違っている所はご容赦願います
巡拝前の参考書 2014年ネット購入
へんろみち保存協会出版 四国遍路ひとり歩き同行二人
小学館出版 ママチャリお遍路1200㎞:サラリーマン転覆隊
ブログ投稿資料
wikipedia ウィキペディア
ohenrocar.com マイカーお遍路
gosyuinn.138shinsekai.com 御朱印のじかん|週末ドロボー









































