足立坂東三十三観音霊場御開帳     2026-4-14 投稿

 三十三観音霊場とは養老2年(718)に2府5県にまたがる西国三十三ヶ所が始り。鎌倉時代初期、西国にあやかり坂東三十三観音霊場が開設され、江戸時代、庶民のあこがれから秩父三十四ヶ所、あわせて百札所になった。

  秩父札所は1234年(文暦元年)午の年開創、1697年(元禄10年)、江戸庶民にも広がりを見せてきた。(wikipedia.org)より抜粋。

足立坂東三十三観音霊場は宝永2年(1705)に足立郡塚越村「高橋休山」が開創者とされ現在蕨市塚越、定正寺(廃寺)にあたるが結願寺になっている。発願は現在満福寺になっていますが、当初大宮市川神社の別当観音寺でしたが廃寺になり北区日進の満福寺が替わりをつとめる。(境内開示より)

 4月10日金曜日 六カ寺参拝  天気不順、午後から雨の予報

自宅近くの鎌倉古道と呼ばれた旧道沿いにお寺が並ぶ、最初に

 第13番 田島観音堂、足立百不動尊

明治維新に廃寺になったお寺です、檀家数50に満たない小さな寺、境内には鐘楼、御嶽神社、観音会館、前回は御開帳に参加していたが今回は不参加。

 第14番 四谷観音堂 明治初期廃寺 北足立88霊場34番、北足立百不動尊48番

参道左に稲荷社、四谷会館が並び、奥にお堂、お堂を囲むように60個弱の墓地

前回は御開帳に参加していたが今回は不参加。会館で集会があるのか数人が集まっていた、その中のお年寄りに御開帳の不参加の訳をお伺いしたら、墓地を守る世代が孫の代になり、了解が得られなくなったと話してくれました。

 第15番 普門寺 さいたま市南区内谷5-16 明治初期廃寺  

いつの頃か山門にロープが張られ出入りができなくなっていた。

お堂の隣に寺守のお年寄りが住んでいたが、表札もなくなりお隠れになった様だ。

檀家の数は100未満、墓地は綺麗に整備されている。

 第16番 徳祥寺 戸田市美女木7-4 北足立88霊場6番 北足立百不動尊45番

自分が伺がった時は乗用車とタクシーそれぞれ1台が先着、御朱印を頂いている。

美女木八番社の別当寺圓通寺の末寺であったが神仏分離により廃寺になり、現在は

南区内谷の一乗院の末寺になっている。

 第17番 平等寺 戸田市笹目6-5 北足立88霊場64番

真言宗の寺院、多くの檀家を抱え、幼稚園も経営。

 山門脇に四国移標石 文政13年(1830)正面に南無遍照金剛、左側面、四国八十八ヶ所豫州石鉄山移(前神寺)第64番笹目村平等寺と刻まれている。

 第18番 観音寺 戸田市新曽1791 北足立88霊場70番

真言宗の寺院、山門から仁王門迄85m以上の距離があり、庭園も備、堂宇も数か所、

庫裏と並木の日の当たらない参道脇に弘法大師霊場と彫られた石塔に阿波国二十番

鶴林寺寫 新曽福寿院と刻まれている。かっては八カ所の末寺を擁していたが、現在は金剛院と多福院しか残っていない、 石塔に刻まれた新曽福寿院はかっては観音寺の末寺で 戸田市の伝説 第八話にも新曽福寿院が登場。

  新曽福寿院の刻みがある弘法大師霊場石塔

 4月10日11日土曜日午前中に二ヶ寺、午後、六ヶ寺参拝

第11番 白幡観音堂 真言宗 さいたま市白幡4 10名ほどの檀家の人々が詰めている

 

 白幡医王院持ちの観音堂、御本尊、聖観世音菩薩、帰り際に手土産を頂く。

第12番 沼影観音堂 天台宗 さいたま市南区沼影 明治初期に廃寺  

      北足立88霊場、北足立百不動尊

 お年寄りが6名、堂内に詰めていました。由緒来歴を尋ねても答えて頂けず。

明治初期の神仏分離令、上知令などの立て続けの発令で寺地の1/3ほどを失ったようです、入口の半分は児童公園、奥には沼影自治会館前には「足立六十八番大聖不動尊」の石塔がある、廃寺になった遍照院から移されたと思われる。

  観音堂右側の墓石や石塔が20数個並んでいる中に弘法大師四国移霊場標石、

天保5年(1834)、左面に伊豫國八坂寺移 第四十七番、沼影村遍照院の刻み。

   第19番 海禅寺 臨済宗 戸田町上戸田3

昭和30年頃は無住のお寺でした、道路沿いの半分の敷地は小学校の校門や校庭でした

墓地も整備され、立派なお寺に変身しています。

第22番 常福寺 浄土宗 戸田市中町2

 常福寺の御本尊は阿弥陀如来

常福寺本堂とは別に観音堂がある。

第25番 最勝寺 真言宗 川口市飯塚1-15-24 北足立88霊場、北足立百不動尊

  コンクリート造り床高式、大きな本堂、御本尊十一面観世音菩薩

第24番 善光寺 真言宗 川口市舟戸町1 北足立88霊場、北足立百不動尊

 お寺は荒川高規格堤防の上にあり墓地は区画が大きく綺麗に整理されている。

 本堂はいつも閉じられ敷居が高いお寺さんに思える。

第21番 三蔵院 真言宗 蕨市中央2-30-10  北足立88霊場32番 

 蕨 三学院の末寺、200ほどの墓石が並び、お寺北側は野鳥公園になっている。

第20番 三学院 真言宗 蕨市北町3 北足立88霊場、北足立百不動尊

 観音霊場の中で最大の大きさを誇る寺院、鉄筋コンクリート造り

 本堂向拝付唐破風には金亀山の扁額、本堂には戒定慧(かいじょうえ)の扁額

 戒・定・慧とは仏教の三学

 本尊は高さ176㎝木造十一面観音菩薩立像、一本作り金箔塗、平安時代後期の作。

 三学院墓地の奥に幻奘三蔵法師の霊骨が分骨されている舎利殿。

 

  4月12日 四カ寺で力尽きる。 

第10番 法性寺 真言宗 さいたま市南区南本町2-13-4 北足立88霊場41番

大きなお寺ではないが住職が熱心なのか、檀家のお手伝いの人が多く、若い副住職が詰めていました。

第4番 普門寺 曹洞宗 さいたま市南区太田窪4-9-10

大宮支台の大地の上にあり西側低地には浦和競馬場が見られる。

平素は山門の扉が閉ざされている。

第9番 二ツ堂 臨済宗 川口市芝塚原2-18-2 長徳寺(臨済宗)管理

 門扉が閉ざされ中に入ることは出来ず、檀家数が少なく、今回の御開帳は不参加。

第33番 定正寺観音堂 真言宗 蕨市塚越3-2-19 塚越稲荷神社内

定正寺は足立坂東観音霊場の宝永2年(1705)札元として成立、神仏分離令により明治四年廃寺になっている。本堂左側に開創者高橋休山の墓石が1基のみ存在。

    観音堂堂内祭壇

結願寺の定正寺には多くの地元住民、神社関係の協力で執り行われている。

 終戦後、番外に川口市里 法福寺とさいたま市緑区の八丁観音堂が追加される。

 川口市里の法福治入口角に設置されている標石     2015年7月参拝の画像

左から新四国八十八ヶ所の第六十一番法福寺、開創年明治31年、

中央に大聖不動尊足立九十二番 天保5年開創と伝えられる。

右に番外足立坂東観音霊場、戦後に参入。 

私見

足立坂東三十三ヶ所霊場の内、総開帳が済んだ翌年、2015年には日時の制限はなく、全寺参拝できたが、今回の三日間で廻れたのは十八ヶ寺。

北足立地区には大聖不動尊百番、四国八十八ヶ所の寫、三十三観音霊場、武蔵東向足立十二薬師霊場、埼玉県六地蔵霊場(明治四年開創)と古くからの霊場はあるが現在は残されているのは足立坂東三十三ヶ所観音霊場だけになった。

12年前の午年総開帳辞退寺は3ヶ寺、今回は6ヶ寺に増えている。

明治維新の廃寺も多く大聖不動尊百ヶ寺の内、41ヶ所が廃寺になっている。

2014年秩父三十三ヶ所総開帳に参拝したが、今回の足立坂東三十三ヶ所霊場は地域、檀家の負担の大きさに痛み入る。