日光御成道その1  

  日光御成道 1日目 本郷追分から東川口駅 まで約20㎞

 日光御成道は江戸幕府が中世の鎌倉街道中道を基にもとに整備したもので、

江戸本郷追分で中山道と分かれ、岩淵、川口、鳩ケ谷、大門、岩槻の五宿を経て、幸手の日光街道合流の十二余里、本格的に整備されたのは、東照宮が大造営された寛永年間以降で将軍の日光社参の往復路に利用された日光街道脇道です。

当初の御成道は貝殻坂(さいたま市緑区)を下り、釣上、尾ヶ崎、笹久保、浮谷を経て岩槻城下に入る「下道」(鎌倉街道中道)を利用していたが三代将軍家光の時代以降は、台地上の大門、野田、膝子、加倉より岩槻城下に入る「上道」が新しく整備された。また、中山道、日光街道の中間に位置する御成道に交差する形で川口宿、鳩ケ谷宿を拠点とした脇道、西は浦和宿、蕨宿、東は草加宿、越ヶ谷宿、千住宿に至る、地域生活道路も整備された。

    1-東京農大前1里塚から荒川新大橋まで

      13-川口宿本陣から19-東川口駅まで


 13-川口宿本陣から19-東川口駅まで

   2016年平成28年12月3日画像、現在の変化は文面にて表記。

 治水地形図分類図  鳩ヶ谷支台 17鳩ヶ谷一里塚、からくり時計 18北西酒店

19東川口駅 

1-中山道最初の一里塚、日光御成道の本郷追分8:37東大農正門前からの歩き初める。

道路標識17は国道17号(中山道)455は都道445号通称、本郷通り、またの名を岩槻街道、日光御成街道と呼ぶ人もいる。

 

1- 東京大学農学部正門、銀杏の紅葉が素晴らしい。

4- 8:56 本

2-8:56、目赤不動尊南国寺、道中、数多あるお寺さんで目赤不動尊を残したのは、

江戸五色不動の一つ、青、黄、赤、白、黒の五色は、陰陽五行説に基づき重んじられた色である。目白、目黒は地名にもなっており、目青は世田谷区太子堂青山の地にあったことから「目青不動」と名づけられた、目黄不動尊は2か所あり台東区三ノ輪永久寺と江戸川区平井、最勝寺、墨田区東駒形の隅田川畔にあったが区画整理で移動。

郷追分から1.4㎞ 吉祥寺山門、1458年太田道灌が開基と伝えられ、 二宮尊徳、榎本武揚、川上眉山、八百屋お七などが眠る曹洞宗の寺院。

江戸期には境内に後の駒澤大学となる学寮「栴檀林」が作られる。

因みに、中央線吉祥寺は明暦の大火で当時、小石川水道橋外にあった吉祥寺門前町の住民が焼きだされ、この地に移住させられ、その際にこの地を吉祥寺た名付けたのが始まり。 吉祥寺山門扁額に栴檀林の文字、長い参道の奥に本堂.

4- 9:02 吉祥寺参道、両脇は銀杏の古木並木

4-江戸時代後期の農政家、二宮尊徳の墓、ほかに終焉の地、日光、小田原市3か所の墓

 

5-9:22 六義園、五代将軍綱吉から賜った地に側用人柳沢吉保が屋敷と庭園造成。

   「公益財団法人東京都公園協会」より抜粋 

5-9:44 元勲陸奥宗光の別邸を古川家が譲り受け、三代目当主が大正三年頃、隣接地を買収し庭園としたのが始まり、戦後、国に所有権が移りましたが東京都が無償で譲り受け一般公開されました。 「公益財団法人東京都公園協会」より抜粋

6- 北区北区北区上中里 平塚神社、1119年創建と云われ参道の半分が月極駐車場。

7-独立行政法人 国立印刷局東京工場 お札はここで印刷されている、ほかに3ヶ所。

8- 9:52西ヶ原に一里塚 都内で存在している一里塚は中山道志村坂上の一里塚とここの西ヶ原一里塚の二か所になり1922年国定史跡に指定される。

9- 飛鳥山公園 八代将軍徳川吉宗が江戸庶民の行楽の為に桜を植樹し解放した、

いわば日本初の公園です。 「東京都北区観光ホームページ」より

10:00 現在は公園内になっている旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬、渋沢栄一が晩年を過ごした場所、くしくも200m程、来た道を戻った場所の国立印刷局では渋沢栄一侯の1万円札が印刷中。

10- 10:12 飛鳥山を下りた所を流れる石神井川に架かる音無橋、区立音無親水公園になっている

11-9:39 石神井川音無橋から旧岩槻街道を北に1.6㎞、十条富士塚は令和5年5月末まで再整備工事が行われ、現在の様子は不明。

12- 11:12 旧岩淵街道は東北線西側線路沿いを進み赤羽駅を過ぎて、前方が登坂(師団坂)、左は鎌倉街道中道、うつり坂、の交差点、右折し手前のガードを潜り、すぐに左側に宝幢院門前に道標があり、「東川口善行寺道日光岩付道」「西 西国富士道板橋道」正面に「南江戸道」、鎌倉街道中道の道標で現在は風雨による風化を防ぐために、屋根付きの囲いに収まっている。

 11:16 宝幢院門前から240m程、国道122線交差点を越えてすぐの左側、横断歩道手前に、仙甚橋、HP ukima.info 「岩淵にある橋の碑」によると石神井川根付用水(稲付川)に親柱ではないかと書かれている。

 

 大橋中央で11:26 国道122号岩槻街道新荒川大橋、ポタリング時下流から撮る。橋中央部で本郷追分から距離9.6㎞

13- 永瀬家、旧川口宿本陣表門、周囲は永瀬家一族の屋敷が綱なり、市文化財に指定されている建物もあるが、多くは通りからは望めない。

 狭い街道の薬局店営業しているかは不明。

 狭い街道の古い商家

14- 錫杖寺 参勤交代時の休息所 20石の御朱印を賜る。

15-12:01 国指定重要文化財 旧田中邸 大正12年に建設された木造煉瓦造り3階建の洋館、2005年川口市の所有となる。

16-12:45岩槻街道と県道34号線(第二産業道路交差点)左中央緑地帯に置かれている。

17- 左に蕨道、右に千住道の各道標。この下に市指定有形文化財の「とんぼ橋の橋石」があるのを見落とす、予備知識を学んだはずだが付近には案内板も無かった。

 17-見沼代用水東縁吹上橋を渡ってすぐの左側角に一里塚跡の木柱があるのみ。

18- 吹上橋から60m左側に御成坂公園のからくり時計。

18-  御成坂公園のタイル壁画

18-  旧家元酒屋さんと石倉、右端の古いポストが印象的

19- 東川口駅のプラットホーム、御成道の段丘から駅の平地の差は15m程ある。

     19- 東川口駅に14時37分着

  参考資料

 旧鎌倉街道旅Ⅱ 中道・下道編 さいたま市南区白幡3-6-10 (株)さきたま出版会

 レファレンス共同データーベース

 HP 川口市 「日光街道の歴史」

 HP     https://ja.monumen.to>spots

 HP home.e01.itscom.net   旧鎌倉街道・中道

 HP ukima.info 「岩淵にある橋の碑」

 HP hamanaka.blog.jp 北区岩淵町・仙甚堀(仮称)を歩く。