大原野神社のあたりから山に向かって西に登っていき、勝持寺と願徳寺を目指します。途中、京都縦貫自動車道をまたぎますがちょうどトンネルの上を歩く形になります。
 
鬱蒼とした参道を進むと勝持寺の仁王門が見えてきました。
 

 
勝持寺の仁王門は平安時代前期に建てられました。当山で応仁の乱で焼失を免れた唯一の建物になります。
 
 
参道の脇に石が積んであり、賽の河原みたいでちょっと気味悪かったです。
 
 
登り坂がまだ続きます。
 
 
平地が開けてお寺の壁に囲まれた区画に出てきました。時代劇の撮影で使えそうな場所ですね。
 
 
最後の登り坂の頂きに勝持寺の山門が見えてきました。ここまで徒歩20分くらいでしょうか。
 
 
その右隣に願徳寺はあります。先にこちらのお参りを済ませてしまいます。
 
 

宝菩提院願徳寺

■天台宗

■御本尊:如意輪観音像(国宝)

■京都市西京区大原野南春日町1223-2

■洛西観音霊場第33番

 

持統天皇によって薬師如来を御本尊として現在の向日市に創建されました。平安時代後期に東山三条の宝菩提院の僧・忠快が中興して台密の中心寺院として栄えましたが応仁の乱で焼失してのち荒廃しました。

1962年に御本尊の観音像が隣の勝持寺に遷され、1973年に願徳寺が勝持寺の隣に移転し、後に観音像もそちらに戻され再興が叶いました。

カヤの木に彫られた如意輪観音像は平安時代前期の作で国宝に指定されています。

 


願徳寺の入口。

 
 
こんな貼り紙がしてありましたのでインターホンを押すと、老人の声が聞こえてきました。
ちょっとインターホンの調子も悪いようで壊れた無線みたいにあまりよく聞き取れず「御朱印をお願いしたいのですが」と話すと何やら聞こえてきて、私は「何の御朱印?」と聞かれたと思い込んで「洛西三十三観音の御朱印です」と答えると「何冊だ?って聞いてるの!」と大声で怒鳴られましたw
今度は明瞭に聞こえすぎるくらい聞こえたので「一冊です」と答えると「中入って」と言われたので入りました。
とてもこの貼り紙の文章の「すみません」みたいな丁寧な態度は期待しないほうがいいと思います。
 
 
この建物に国宝の如意輪観音像が奉安されていて、拝観料を払うと入れるようですが遠慮して外から拝んでおきました。


この本堂の手前に御朱印受付があって例の老人が深々と椅子に座っていました。御朱印を書いてもらってお代を払う時に、椅子に深々と座っていたので取りづらいかなと思って釣銭トレーの奥に硬貨を置いたら「その中に置いて!」とまた怒鳴られてしまいました。余計なことはしないほうがお互いのためのようです…。
 
 
専用御朱印帳の御詠歌。こちらは洛西三十三観音の第33番札所にあたりますが、たまたま拝観の順番が来てしまっただけで半分ほどしかお参りできていませんから結番はまだ先です。
 
 
老人が書いてくれた御朱印。太筆で全てを済まそうとするとこんな感じになりそうですね。
 
 
最近は札所巡りでの御朱印が多いですし、一度に沢山もらって叱られるような切迫感もあまり無く、無憂無風が続いていたので、こういうパンチの効いた体験をすると不快感よりも「あ、来た!」みたいな変な記者根性?のような密かな喜びに襲われることがあります。まぁしないに越したことはない体験なんですけどね。
 
この後、勝持寺にお参りしました。