今までに一番つらかったことは・・・
家族に何かあった時に、「何もしてあげられないこと」
父が入院中、「せん妄(せんもう)状態」になった時、
「自分は父のために何もしてあげられない・・・」
と痛感しました。
「せん妄」とは意識障害が起こり、頭が混乱した状態のこと。
意識はあって、目もあいており、言葉も話すのですが・・・
起きてはいるんだけど、本人は<現実とは違う、別世界にいる>
そんな感じです。
ある日お見舞いに行ったら、
病室の壁や天井に血が飛び散っていて・・・
唯一の治療法である「点滴」を
いきなり自分で引き抜いてしまったとのこと。
点滴をしようとすると暴力を振るうので
治療は一時中断。
大部屋からナースステーション内にある病室に移されてしまいました。
その部屋って、一時も目が離せない患者さんが入る病室で・・・
ちょっと背筋が凍りました。
私が話しかけると、言葉はかえってくるのですが、
それが意味不明。
私の方を向いて喋っているんですけど
私じゃない誰かに、違うことを話し続けている。しかも延々と。。。
本来なら点滴を3−4日したら退院できるくらいなのに
せん妄状態が何日も続きました。
当時会社勤めをしていたので、
子どもたちに夕食を作ってから毎夜病院へ。
1日たっても2日たっても同じ状態で
意識がどこかをさまよっている父
こっちの世界に戻ってこれないんじゃないか?
治療ができないので、もっと症状が悪化しないか?
父はどうなってしまうのだろう?
お見舞い時間が終わってからも
病院の外のベンチでそんなことを考えていました。
父のせん妄状態が続けば続くほど
自分自身を責める自分が大きくなり
「自分は何もしてあげることができない」
そんな無力さを痛感し、涙があふれました。
何かしてあげたいけど、何もすることがない。。。
これが一番辛かった。。。
最初はただ、病室で顔を見ているだけでしたが
ふと触った手がものすごく冷たい。
なので、3日めくらいから手足をさすりはじめました。
だんだんと血が通う感じで皮膚の温かさが感じられると
父も穏やかな顔になっていき、
自分のどうしようもないやりきれない気持ちも
徐々にゆるんでいきました。
そういえば、
祖母も亡くなる間際に足をさすってあげると
「気持ちいい・・・」と言ってたことを思い出しました。
肌に触れることは<愛そのもの>
赤ちゃん時代は、しょっちゅうお母さんに抱かれている。
大人になったら、そんな時間は少なくなりますが、
それはそれで拒否をしているわけではない。
心の奥底では、それを求めている。
愛して欲しい!と叫びたい。
母に抱かれる安心感、幸せ感
それを感じたいだけ感じさせてあげようと思ったのです。
1週間ほどして、父はせん妄状態から抜け出しました。
こちら側に意識が戻った時
「なんかねえ、夜になると気持ちいい感じがしてたんだ。」
と言ってくれて
私の想いが通じたのをうれしく思いました。
何かあってからでは遅いかもしれません。
そうなる前に今、何ができるだろう?
心から愛する人のために、何かやってあげられることはないか?
私たちの年齢って
そういう備えも必要とされているのかもしれませんね。
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