ガエリヤは宝太郎とスパナがぶつかり合うことを計画してたんですね。ほほぉん。

 

前半パートはケミーが世の中に知れ渡った影響を描いたもの。人間の悪いところが存分に出てたし、宝太郎が望んでいたとはまるで真逆な場面が繰り広げられていましたとさ。

 

そこで出てくるスパナの動きに特にフォーカスされたんだけど、まあ普通って感じなのかなぁって気がする。一般の子どもを庇ったりするところとか、身内の様子とか……これらを判断材料にした上で「ケミーの放棄」と「錬金術の管理」を宣言したのは実に彼らしい。

 

そこに反発してくる宝太郎も彼らしい。もとより彼は「ケミーと人間の共生」を願ってきた訳だから、悪意を持ってケミーを用いる人とか絶対的に敵と見なしてきた。この願い、すっごいフワフワしているけど、まだ高校生だし仕方ないよなぁと思う。高校生だからこそ、綺麗事を信じてしまう。そんな感じ。

 

だから「放棄」が宣言された時点、宝太郎はスパナに対して激怒していたという。まあ、ありがちな反応なんだけど、それらの反応を全て利用しているガエリヤが怖い。策士だよなぁと思いながら見てたし、まるで先の作品(『リバイス』)を見ているようでした。あちらの作品も「人間」をテーマにしたものだし、何なら『ゼロワン』だって「人間」をテーマにしている次第だし。使い回し?

 

何だか似たような構造だなぁと気にしていながら、その辺のことを見てました。後述べるところで言うと、アトロポスとグリオンのシーンとりんねかな。前者は嘗てのりんね親子の場面を彷彿とさせたし、何を意味しているかはさておいて、結構何かしらの意味合いが込められているのかなぁと。後者は後に登場する金色の指輪に関係するのか?