金融取引というのは、基本的に未来志向の行為だ。なぜなら、投資とは「何に投資したら将来上がるのか」を考えることだからである。いま見えている現在値ではなく、これからどう動くかを読む。つまり、未来を想像し、未来に理由を与える行為なのだ。
ところが多くの人は、「なんとなく上がりそうだから買う」と言う。これは博打である。なぜなら、「理由がない」。理由がない未来予測は、祈りや運任せと変わらない。
一方で、投資とは「こういう理由で上がる」と考えて行動することだ。そこには根拠があり、分析があり、判断がある。だからこそ、投資には“考える力”が必要になる。
博打と投資の違いとは、まさにこの「考えたかどうか」なのだ。未来を考えるには、アリの目とタカの目の両方が要る。アリの目で細部の数字やデータを拾い、タカの目で社会の動きや人々の心理を俯瞰する。どちらか一方では偏る。両方を行き来しながら、因果をつなぎ、未来に理由をつけていく。つまり投資とは、線を引く行為だ。「これは上がる、これは上がらない」「これは理由がある、これは感情だけだ」そうやって未来に向かって線を引いていく。
その線を引く力こそ、思考力の基本であり、金融教育が本当に育てるべきものはこの「線を引く力」なのである。
金融教育とは、テキストを読んでNISAの買い方を覚えることではない。過去を学ぶのは、未来に理由を与えるため。そして未来に理由を与えることこそ、「投資」と呼ばれる人間の知的行為の本質だ。
そして最後に――。
誰かに聞いて、「これが上がるよ」と言われたから買う。
そんな投資は、占いに従って行動するのと同じである。
どの人の話が当たるかを探すのは、
「どの占い師さんが当たるかな」と一生懸命探しているのとまったく同じ構造だ。
金融教育が教えるべきは、占いを信じる力ではなく、未来を自分で考える力だ。
その力を育てることこそ、真のリテラシー教育である。