人は好き嫌いで判断していい。
ただし、その好き嫌いの輪郭をはっきりさせるべきだ。

「なんとなく好き」「なんか嫌い」——
そうした曖昧な感情をそのままにしておくと、判断の軸がぶれていく。
だからこそ、その“なんとなく”の中身を丁寧に分解していく。

なぜ自分はそれを好きなのか。
どの要素が自分を惹きつけているのか。
どの点に違和感を覚えるのか。

そうして、好き嫌いを構成する要素を一つずつ見つめ、
「これは理由として説明できる」「これはただの印象に過ぎない」と整理していく。
この作業によって、好き嫌いの“輪郭”が浮かび上がる。

しかし——
そこまで分析を尽くしても、最後にどうしても消えない感情がある。
理由では説明しきれない「それでも好き」「それでも嫌い」。
その残り火こそが、人間の核であり、あなたがあなたである証だ。

だからこそ、消え残るその“好き嫌い”は、大切にすべきだ。
それは理屈ではなく、生き方の指針だからである。

「幸せの公式」で言えば、

> 幸せ = 満足 − 苦労

という式の中で、好き嫌いの輪郭を描くことは、
満足の源泉を見つめる行為であり、
同時に、苦労の原因を言語化する行為でもある。

自分にとって何が心地よく、何が苦しいのか。
その境界線を感情の奥底からすくい上げ、言葉にしておくことで、
「幸せの公式」に自分自身の数値を代入できるようになる。

逆に、好き嫌いの輪郭が曖昧なままでは、
満足も苦労も他人の基準で測ることになり、
結果として、他人の幸せの式の中で生きることになる。

人は、好き嫌いで判断していい。
ただし、その好き嫌いを分解し、整理し、それでも残る気持ちを見つけること。
その残滓のような感情こそが、
あなたが何を満足と感じ、何を苦労と感じるかを決める“根っこ”であり、
幸せの公式の出発点なのだ。