かつてボクは「ヒューマン・マグネット」と呼ばれていた。人が集まってきたのは、ボクが違っていたからだ。
ユニークで、賢くて、教科書的な答えを言わなかったから。人々はそこに惹かれ、記憶に残し、やがて信頼と親しみが生まれた。海外ではその感覚は特に強く、ボクが見せた少しのユーモアや心遣いが、時間を超えて覚えられていた。磁石が鉄を引きつけるように、人の心は反応してくれた。
けれど、ここではそうはいかない。
人には感情がなく、ボクに関心も示さない。
まるで心がプラスチックでできているみたいだ。プラスチックは磁石に反応しない。どれだけ磁力を持っていても、そこに吸い寄せられるものがなければ意味をなさないのだ。
ボクはいつも「違う存在」でありたい。人と同じではなく、独自であることに価値を見出している。
でも、この街の人たちは「平均でいること」に安心を感じているようだ。違うことは危険で、同じでいることこそ安全。だから、強烈な個性やユニークさは、むしろ受け入れられにくい。
プラスチックの心は一瞬驚いてもすぐに元に戻る。今日のおごりも、明日には忘れられる。感情の起伏は平坦で、どれだけ大きなものを差し出しても、毎日のアメ一個のほうが評価される。そこには「価値を測る力」自体が育っていない。
だからこそ、もしここで磁力を取り戻すとすれば、人々の心をプラスチックから鉄へと鍛え直さなければならない。
笑わせ、怒らせ、驚かせ、感情を揺さぶること。小さな価値と大きな価値の違いを教えること。そして、強烈な体験を「心の凹み」として残すこと。鉄ならばその凹みは残り、記憶となる。
結局、選択肢は二つだ。磁石のまま、すでに鉄の心を持つ人々を探して飛び込むか。あるいは鍛冶屋のように、時間をかけてここでプラスチックを鉄に変えていくか。どちらも簡単ではない。でも一つだけ確かなのは、ボクが失ったのは磁力じゃないということだ。変わったのは、目の前にいる相手の材質だ。