アヒルの戦略と白鳥の戦略 〜英語学習から見える「努力の錯覚」〜
先日、国際交流イベントに参加したときのことだ。
そこで僕は、ある種の違和感を覚えた。
参加していた学生たちが、外国人と英語でやり取りしているように見えた。
ところが実際には、「えーと、えーと」と日本語でつぶやきながら、必死に言葉を探しているだけだった。何て言えばいいんだっけ?
たった一言 “What do you think?” と言っただけで、「国際交流をした」という体験になっている。
彼らにとっては、それが「頑張った証」なのだろう。
しかし僕の目には、何年も同じ場所で足踏みをしているだけに見えた。
そこには成長も進歩もなく、ただ自己満足の循環があるだけだった。
持っていないおもちゃを探す大人たち
この姿を見て、僕はこう感じた。
「持っていないおもちゃを必死に探す大人たち」 なのだと。
頭の中のおもちゃ箱(知識のストック)に入っていない単語を、いくら探しても出てくるはずがない。
必要なのは「探す努力」ではなく、「入れる努力」=学ぶことだ。
何て言えばいいんだっけ?は、知っていることを思い出すときに言う言葉だ。最初から知らないならばどんなに思い出そうとしても答は見つかるはずがない。
頭のいい人たちは子どもの頃にすでに気づいている。
「探す楽しさ」と「遊ぶ楽しさ」は違う、と。
だから彼らは、遊ぶためにおもちゃを箱に入れる作業を繰り返してきた。
一方で大人になっても「探す努力」に熱中している人たちは、探している自分を努力家だと評価してしまう。
実際には中身が空っぽでも、「頑張っている気持ち」だけで満足してしまうのだ。
正解信仰の呪縛
さらに不思議なのは、彼らが「そのおもちゃは自分の箱にはない」と心のどこかでわかっているはずなのに、なお“ぴったりの正解”を探し続けていることだ。
本来なら「リンゴ」という単語が出てこなければ「赤くて丸い果物」と説明すればいい。
けれども彼らはそれをせず、正解そのものに執着する。
これは学校教育の副作用ではないだろうか?
「唯一の正解がある」と教え込まれた結果、正解が見つからない状況に弱くなってしまっている。
その呪縛が、大人になっても「答えのない探し物」に時間を費やさせている。ボクの限られた観察からは、できない人ほど、何を怒られてるかわからなくてそういう盲信をしているように見える。
アヒルの幸せ戦略
ここで僕は改めて思った。
これはまさに「アヒル戦略」だ、と。
アヒル戦略とは、新しい知識を取りに行かず、昨日できたことだけで生きていく戦略。頑張ったとて、目標を達成するだけの能力が無い人向け戦略。
常々主張しているように、幸せとは
(収入=楽しい)ー(費用=苦しい)=(収益=幸せ)
であるから、努力しても楽しいを得られないのならば最初から努力などしない方が幸せである
というある意味非常に突き放した、されど真実のことだ。
もっといいことがある、でもそれは手に入らない。
ならばそんな存在は知らない方が幸せだという戦略。
「頑張った自分」を褒め合うことで幸せを感じられる。
遊ぶ楽しさを知らなければ、頑張って探している自分カッケーで満足できるのだから、それも一つの幸せの形だろう。
今さらやったって、世界を股にかけて飛び回り、世界中の人たちと友達になる.…と思って空っぽのおもちゃ箱を一生懸命探して幸せなら、その夢から覚めさせる必要は無い。そのまま寝てるのが幸せ。
親の影響と余計なインプット
英語教育において、親の影響は想像以上に大きい。
かつて僕が教えていた英語塾で、こんなことがあった。
子どもが「orange」「apple」を正しく発音できるようになった。
ところが家に帰って復習すると、母親が「オレンジね」「アップルね」とカタカナ発音で補正してしまう。
すると次の週には、発音がすっかりカタカナ化されて戻ってくるのだ。
逆に母親が知らない単語は余計な補正が入らないので、正しい発音がそのまま残る。
つまり できない親ほど口出しをしない方がいい。
これは教育の現場で何度も目にした現象だ。
白鳥戦略としての英語学習
よく聞かれる質問がある。
「どうすればあなたのように英語が話せるようになりますか?」
僕の答えはシンプルだ。
頑張ったことを褒めない。頑張るのは当たり前。
一度できたら「もっとできるはずだ」と積み重ねる。
「外国人と話せた私すごい」と思った瞬間、成長は止まる。
これは英語に限ったことではない。
何かを成し遂げたいときには、すべてに通じるルールだ。
結論
アヒルは、頑張った自分を褒めて、池の中で安心して生きることができる。
それも一つの幸せだろう。
けれども僕の興味があるのは白鳥戦略だ。
探す努力ではなく、入れる努力を積み重ね、空を飛ぶための方法。
持っていないおもちゃは、いくら探しても箱からは出てこない。
必要なのは探す努力ではなく、入れる努力だ。
僕はそのために生きてきたし、これからもそれを語り続ける。
眠っているアヒルの中に白鳥を探すのは至難の業だ。ほとんどいない。
アヒルは切り捨て、アヒルとして接することにする。