涙は我慢の末に出たんじゃない。
――母の死と、感情の目盛、そしてレジリエンスの話。
母が亡くなった。
静かな最期だった。だけど、心は静かじゃなかった。
僕は泣いた。
よくあるドラマみたいに「我慢してたのに涙があふれた」んじゃない。
悲しいと思った。だから、泣いた。
それだけだ。シンプルに、まっすぐに。
涙には理由がある。
感情を感じきって、表に出したからこそ、ちゃんと気持ちが落ち着いた。
泣いたあとは、少しだけ空が明るくなったように思えた。
曇り空のまま進むのではなく、一度ザーッと降らせて、晴れる。
それが、レジリエンスだ。
レジリエンスって、我慢強さのことじゃない。
無敵のメンタルでもない。
むしろ逆だ。
ちゃんと揺れて、ちゃんと落ちて、ちゃんと立ち直る力。
心が傷つくことを恐れずに、動かすこと。
それが、後からちゃんと自分を回復させてくれる。
今の世の中、感情を抑え込んでる人が多すぎると思う。
心をなるべく動かさず、安全圏で、低空飛行で生きてる。
傷つかない代わりに、感動もしない。
だから、ほんの少しでも気持ちが揺れると、すぐに「神」「尊い」「無理」みたいなビッグワードで表現しきろうとする。
それは目盛が狭いから、すぐに振り切れちゃうというだけのこと。
決して、本当に感情が豊かなわけじゃない。
母の死をきっかけに、僕はあらためて自分の感情と向き合った。
悲しみを感じた。
そして、泣いた。
涙のあと、確かに気持ちは少し晴れた。
レジリエンスとは、感情を閉じ込めずに、きちんと流してあげること。
その繰り返しの中で、人はちゃんと前に進んでいける。
誰かがこの文を読んで、
「泣いてもいいんだ」
「感じてもいいんだ」
って、ほんの少しでも思えたら――
それは母から、僕を通して届いた“最後の励まし”かもしれないと思った。
「お母さんのことはいいから、あなたはあなたのするべきことをしなさい。」は母の口癖だった。