ドーハの悲劇のときはニューヨーク勤務だった
米ドル債券ディーラーをやっていた
もう30年も前の話だからいいよね
米州営業部長は、銀行退職後よくテレビでコメンテーターをやっていた超ダンディな人(銀行時代は超おっかなかった)
ラ・サール、東大でサッカー部だったそう
大和田常務は米州企画部の調査役だった
米州営業部長はなぜか俺にはやさしかった
そういえば、あのおっかない大和田常務のモデルの人も俺だけはなぜか超かわいがってくれた
もっと言えば、人事部を脅して俺を昇格させてくれたし
試合のとき、俺は米州本部長からの特命を拝命した
「試合経過を逐一報告せよ」
ディーラーデスクは電話が2台
俺は東京に電話をかけた
一つは東京本部の投資銀行部門リエゾンの自宅
テレビの前に受話器を置いてもらって、テレビの音を流してもらった
そしてもう一つは大学のサッカーサークルの友人の自宅
テレビの音声だけではわからないので解説をしてもらうため
2時間繋ぎっぱなし
(ちなみに電話は当時から買取回線を使っていたので、何時間繋いでいてもお金は市内通話分しかかからない)
試合経過をインターコムで定期報告
ご存知のようにロスタイムにイランに得点され、アメリカワールドカップへの夢は潰えた
それを報告すると、いつも温和な本部長までもが、
「なに~?!何やってるんだ!!」
いつもは俺には怖くない米州営業部長、大和田常務はもちろんのこと、いつも温和な米州本部長(俺、いつもお供でワシントンの連邦準備理事会に行って通訳してた。つーか原稿・振り付けも俺がしてたんだけど。当時本部長と俺は喫煙者で、俺んとこの現地法人社長は非喫煙者なので、移動の途中、本部長に「タバコ吸いにいこ。荷物は社長に見ててもらえばいいよ、社長よろしく」つって誘われて、俺の直属上司は俺の荷物番をしてくれていた)までもがすごい剣幕
俺「す、す、す、すいません!」
となぜか謝るっていう
という思い出