偽札を使うのがどこから犯罪かという話で思い出した

 

そもそもなんで俺がそういうことを知ってるかというと、常々法律ギリギリを攻める気満々だからである

やっていいって言われていることはパンパカパンにやりたいもん

 

そしてやっちゃだめと言われていることでもやりたくなっちゃうことがある

 

法律とは社会の最大公約数であり、フールプルーフ(馬鹿でも安心)が施されている

 

そうすると、法律の精神からは逸脱していないのに、形式要件で引っ掛かる場合が出てくる

これはlost in translationの一種なわけ

 

そういうときに書くのがノーアクションレター

 

「こんなことしようと思うんだけど、怒らないよね?」という行政が何もしない、ノーアクションであることを確認するレター

例外適用のために使う

 

レターで議論するのは、

1. 法律の額面上は違反となる行為がしたいと思う

2. 法律の精神はこれこれこういうことだと理解しているが、本件はその精神には沿っている

  形式上違法とみなされる可能性があると認識している

3. しかるに、

  (1)これこれこういう意味で法律の趣旨には合致する

  (2)公共の利益に資する

  (3)公平な競争を妨げない

4. だからやっていいでしょ?怒んない?

 

法律の改正というのは、こういうノーアクションレターが多くなれば起きる

....のが外国

日本でも最近はこういうのが増えてきていると聞く

 

最終的に守るべき最低限のルールは、公共の利益と公平な競争というのが世界共通の価値観である

ソースはいろんな国でノーアクションレターをもらってきた俺

 

ルールができていたとしても、その精神に照らして例外適用していいかどうかを判断する

 

なんでやっちゃだめなんですか?

 

ルールだから

 

というのは不毛なやり取り

なぜそのルールがあるのかを考える癖をつけたほうがいいと思うよ

 

理由は聞くな!いいから覚えろ!って教育されてきた人には難しいんだけどね