障碍者施設、高齢者施設などでの職員による患者・入居者虐待のニュースをたまに見る
最近福祉施設の戦略コンサルに入って感じることがある
根底にある原因には職員の認識の齟齬があると考えている
福祉に携わっている職員は、患者・入居者にやって「あげている」
あげている意識が強いように思う
善意でやってあげているのに報われない私、可哀そう
勘違いしてはいけない
事業全体としては福祉(=要するに施し)ではあるが、それは国民の税金による補助がなされている点が福祉なのであって、
職員ひとりひとりが福祉として、ただ働き、不当に安価な賃金で働いているというわけではない
職員の仕事については、ひとりひとりが提供する役務に応じた対価たる賃金を得ているのであって、決して施しなどしているわけではない
それを混同して、まるで自分が福祉をして「あげている」という認識が職員の根底にあるように見受けられる
給料を「もらう」という表現と同根の誤解である
給料は稼ぐものであって、もらうものではない
提供する役務の対価である
福祉は、職員のコストにおいて、ただでして「あげる」ものでもない
まずはそこの根強い誤解を解くところから始めることにする
要するに日本語はおかしいのよ
どうも等価交換というのがすっぽり抜け落ちているようにしか見えない
等価交換の原則を身に染みこませれば、自ずと価値とは何か?に考えが及ぶはずなのである
であるにも関わらず、価値評価をすっ飛ばして、お得だの損だのと騒ぐ
それ、正当な評価がまずあって、それに比べて割高、割安ってことなはずなんだけど
損得の基準がないんだよね
だから俺にはAWHにしか見えない
よく、民間と公共機関は違うと言い訳する人がいる
それは意思決定において、決定要因が違うのであって、競争環境にないことが違うのであって、
職員ひとりひとりが顧客に対して行う役務の提供には民間も公共機関も違いはないはずである